ドクターサロン

齊藤

杏林シンポジアは昭和38年に開始され、2024年で61年目です。これまで眼科に関するシンポジウムはなかったため、クリーブランド・クリニックの同窓ということで、瓶井先生に企画をお願いしました。

近年、非常に進歩があるということですが、まず全体的にお話しいただくと、どういうことになりますか。

瓶井

まず、昭和の時代から令和になりましたが、昭和前半部分の終戦から高度成長あたりまでは、眼科と言えばレッドアイクリニックと言われ、少し卑下して目洗い医者というようなことを言われていました。昭和の中期から後半になってくるとホワイトアイクリニックとなり、赤くないけれども視力が悪い人は治していこう。さらに最近になると、昔はかたちだけ治る、解剖学的に落ち着きましたというのが、視力を出そう、機能的によくしようという方向にどんどん進んできているのが一つです。

あとは高齢化により、眼科の疾患あるいは治療自体も随分と構造が変わってきていると思います。

齊藤

高齢化で患者さんの疫学が変わってきていることはありますか。

瓶井

以前は、成人の失明原因の1位は糖尿病でしたが、それが10年ごとぐらいにだんだんと順位を下げ、いまは3位まで落ち、逆に緑内障や加齢黄斑変性が上がってきています。

緑内障は後でもまた特集する回があると思いますが、なかなか視力は最後まで落ちず視野がどんどん狭くなります。しかし、高齢になってくるとついには視力まで下がってしまうことから、寿命が延びたことで失明するような緑内障も増えてきました。あるいは加齢黄斑変性は名前のごとく加齢により症状が出てくることから、60歳以上になると発症率がぐんと上がります。

逆に、糖尿病は比較的若い年齢で失明してしまいます。それが大きな問題で、40~50代の働き盛りの人が失明してしまうことがありますが、治療の進歩でそれはだいぶ少なくなってきました。以上が高齢化に伴う疾患構造の変化です。

齊藤

失明は非常に問題になりますが、失明まではいかなくてもクオリティが低下するという問題がありますか。

瓶井

視力は中央の目の真ん中の黄斑というところでほぼ出していて、それ以外の網膜は視野をつかさどっていますが、視力でいうと黄斑疾患といわれるものが幾つかあります。孔が開く黄斑円孔、膜が張る黄斑前膜、先ほどの加齢黄斑変性、あるいは黄斑浮腫といってむくんでしまうもの。多くの黄斑疾患が年齢にしたがって出てくるので、60~70代が発症、治療のピークとなってきます。

黄斑前膜や黄斑円孔は進行しても視力0.1ぐらいまで低下して失明までいきませんが、日常生活には不自由が出てきます。

先ほどお伝えしたように、昔はかたちだけでも目の玉を残せばいいとか、光がわかる程度に残せばよかったのが、だんだん視力を求めるようになり、最近は1.0くらいの視力が出せるようにとなってきて、治療も変わってきています。

齊藤

それから、白内障もあるのですね。

瓶井

白内障も私たちが研修医をやっていた30年、40年前は1週間、2週間入院するし、手術も30分~1時間かかっていました。今は日帰りで、局所麻酔の10分程度の手術をして、なおかつ遠近両用の多焦点レンズが出てきたことで、本当に大きく変わりました。

齊藤

白内障はものすごく大きな変化です。技術の総和ということでしょうけれども、何が一番進歩したのでしょうか。

瓶井

いろいろあると思います。術式も少し変わりました。また術式を支える機械(マシン)、白内障手術のマシンがすごく進歩しました。それに目の中に最終的に入れる人工レンズの形状、素材、あるいは付加された機能が進歩してきたという、この3つが大きなところかと思います。

齊藤

それがだいたい平成になったころですか。

瓶井

昭和のころはまだ白内障手術は嚢外摘出術を行っていました。私たちが入局したときは、黒目と白目の境を上半分切り、糸を10本くらいかけていましたが、今はもう2㎜程度の切開創で、超音波で砕いて吸ってしまいます。

齊藤

嚢が残っているのですね。

瓶井

戦前、戦中、戦後の前半は、水晶体自体を取り出していました。嚢ごと取り出すので嚢内法と呼ばれていました。超音波白内障手術では袋を残すので、形式でいえば嚢外になるかもしれませんが、範疇が違ってきます。

齊藤

そのレンズも折りたたみ式ということですね。

瓶井

昔は虫めがねの小さなものをそのまま入れていましたが、今は丸めて入れるので、切開創が小さくて済むようになり大きく進歩してきました。

齊藤

そこも大きいですね。そして、レンズの焦点もたくさんありますね。

瓶井

多焦点が出てきました。多焦点も影と光があり、いいことばかりではないので、その中間ぐらいの焦点拡張型というものも出てきたりしました。現在は素材が進歩し、超音波で手術ができるようになった。眼内レンズを折りたたんだり、丸めて入れられるようになり、傷口が小さくなったことはすごく大きいです。

感染が非常に減ったことや、手術による乱視がほぼ出なくなり、コントロールできるようになったのも大きなところかと思います。

齊藤

そういう技術が広がり、今では開業医で行えるのですね。

瓶井

開業の医師が日帰りでベッドを持たずに行っています。昔は眼科医も開業してしまうと手術を諦めないといけなかったのが、今はそれが続けられるので、若い医師の開業が多くなり少し困ったりしています。

齊藤

逆に、眼科の人気が高まっているということですよね。

瓶井

患者さんにとって手術のハードルが低くなり、治療のクオリティが上がっています。

先ほどの高齢化ですが、白内障でゆっくりゆっくり視力が落ちるので、どこから白髪になったかわからないようなもので、気がつくと視力が落ちていたり、視力低下があまり気にならない超高齢になってしまっていることになります。

しかし、白内障を治療すると視力が上がり、認知症がよくなるという論文データが出ているので、早いうちに治療するとアクティビティが上がり、より人生が楽しくなる、あるいは認知症にもなりにくくなることがあります。

齊藤

今度は緑内障についてです。これは難しい病気ですが、点眼薬などをする人も多いし、今は手術もあるのですね。

瓶井

手術も軽いものから重いものまで、バリエーションが増えました。まず点眼薬が大きく変わりました。昔は2種類ぐらいしかなかったのが、今は専門外だと覚えられないぐらい、たくさん出ています。少なくとも8種類、作用機序が違うものが出ていて、それにより患者さんは手術まで行かずに、治療ができるようになってきました。それでも手術が必要な方もいらっしゃいます。

手術も昔は1種類か2種類しかなかったのが、今は、白内障と一緒に簡単なのをやっておこうとか、予防でドレナージをしておくような手術ができるようになりました。

齊藤

あと加齢黄斑変性についてもたいへんな進歩がありそうですね。

瓶井

加齢黄斑変性は、欧米では高齢者の失明原因の1位になっています。真ん中が見えなくなる疾患ですが、診断と治療の両方が進歩しました。1990年前半までは治療法が全くなかったので諦めてもらっていましたが、2000年に入ってから血管内皮増殖因子、VEGFの抗体医薬がたくさん出てきました。

1990年代の終わりからOCTという網膜の断層撮影が行われました。循環器の医師も違う種類のOCT、あるいは皮膚科でも使っているかもしれませんが、超音波を発信して断層撮影するものです。眼科は光断層撮影といって光を当ててその反射を見ますが、まるで組織を切ったように見られるので、それで早期診断あるいは治療の判定効果が確実になったのが大きな進歩かと思います。

齊藤

それにより、血管の増殖を抑えるということですか。

瓶井

早期に見つけて注射で新生血管の成長を抑制、あるいは退縮させます。再投与をいつにしようかというのも、OCTで正確に判断ができることになっています。

齊藤

そういう診断面での進歩も大きいのですね。あとは糖尿病に関しても同じような感じでしょうか。

瓶井

糖尿病は眼科と内科の連携が深まったのが進歩の大きな要因の一つだと思います。内科の治療も随分進歩していると思いますし、眼科では検査技術が進歩して、眼底写真でも眼底の一部分しか見られなかったのが、広い範囲が一発で撮れるようになったりして早期診断できるようになりました。

手術については昭和50年ごろまでは行われておらず、糖尿病で失明していましたが、私が研修医のころは、手術して視力を0.1ほど残せるようになってきていました。その後マシンと術式の進歩によって今はもうほぼ0.1以上は出るようになってきました。手術時の観察系もよくなりました。

齊藤

これからシリーズでいろいろ詳しい話があると思いますが、楽しみにしたいと思います。ありがとうございました。