山内
妊娠中の貧血は、ほとんどが鉄欠乏性貧血と考えてよいのでしょうか。
木戸
そうですね。まれに悪性腫瘍などが隠れていることもありますが、9割以上が鉄欠乏性貧血とされています。
山内
この辺りの年齢の方は、もともと鉄欠乏性貧血が多い印象があります。これを持ち越していることが原因である場合が多いのでしょうか。
木戸
もともと生殖可能年齢の日本人女性は、諸外国と比べ鉄欠乏性貧血が非常に多いといわれています。特にダイエットをしている方や月経量が多い過多月経の方は、リスクがさらに高まるといわれています。
山内
妊娠が原因で貧血が進むことはあるのでしょうか。
木戸
あります。胎児の発育や胎盤を形成するために鉄がより必要になります。妊娠中は、妊娠前より多くの鉄の供給が必要になります。食事の目安においても、妊婦さんの場合は付加量があるので、それに追いつかない場合は貧血になってしまいます。
山内
そういう方々は、もともと貧血になりやすい素因があるのでしょうか。
木戸
鉄のストックがないところに妊娠して、ニーズがさらに増え、鉄欠乏性貧血が明らかになることもあるかと思います。
山内
一方で妊娠のときには生理的な体液の希釈があるとされていますが、妊婦さんではわりに生理的なヘモグロビンの低下が認められますね。
木戸
妊娠により、循環血液量は非妊時の45%程度増えます。赤血球量もある程度増えますが、その循環の血漿量の増加には追いつかないほどです。ですから、かなり生理的な血液の希釈状態になります。そのため、正常値の基準も一般女性より低く設定されています。
山内
見かけ上の貧血を除外した上で、治療対象となるカットラインはどの辺りでしょうか。
木戸
WHOの基準では、妊婦さんの場合はヘモグロビン値が11g/dL未満で、ヘマトクリットが33%未満といわれています。
昨年、3年ごとに出ている『産婦人科診療ガイドライン産科編』の最新版である2023年版が出て、そこで初めて「妊娠中の貧血への対応は?」というCQの項目が設けられました。この項目でシステマティックレビューもなされていて、CQ & Answerと解説が掲載されています。
そこで、どのくらいの基準で鉄剤を投与するかという目安ですが、WHO基準と同じで、ヘモグロビンが11g/dL以下、かつ平均赤血球容積(MCV)が85%未満を目安に治療対象とするという記載があります。
山内
これは妊娠の時期により変わってくると思いますが、測定のタイミング等に関してはいかがですか。
木戸
ガイドラインには、妊娠中にいろいろな検査を推奨する時期が書いてあり、いわゆる血算に関しては妊娠中3回を推奨しています。時期としては妊娠初期が1回、初診時から8~11週ぐらいまでです。2回目は妊娠24~35週の中期になったところで一度チェック。その後、より出産に近い時期、36週から出産ぐらいまでの時期に、もう1回チェックするとしています。
山内
貧血がずっと続いているケース、あるいは時期により違ってくるケースがあるかもしれませんが、貧血があった場合、出産、胎児への影響はどの程度わかっているのでしょうか。
木戸
諸外国では周産期予後への影響に関するいろいろな文献がありますが、日本ではそういった疫学調査は非常に乏しく、研究があまりなされていない状態です。
諸外国の文献だと、鉄欠乏性貧血により早産が増えてしまう、赤ちゃんの体重が少なくなって低出生体重児が増えてしまうといったリスクがいわれています。それから、重症の貧血の方の場合は出産時の出血が増えてしまうことで輸血のリスクも上がるといわれています。
日本で行われた1万人程度の比較的大規模な調査ですが、2023年に発表されたデータでは、早産や低出生体重児の発生リスクはほとんど上がっていないという結果でした。おそらく国や地域により周産期の医療環境、栄養状態、経済状態がかなり違うので、そういうデータが違っているのは原因としてありうることかと思います。
山内
影響としては、貧血がありますから、母体の心身への影響は出てくるのでしょうね。
木戸
貧血だと非妊時と同様に疲れやすい、めまいがする、動悸、息切れといった症状が出ます。ただ、動悸や息切れ、めまいは妊娠しているだけでも起こりやすいので、自分が貧血になっていることに気づかない方がけっこういらっしゃいます。血液検査で「これだけ貧血がありますよ」と言うと、驚かれる方が多いです。
山内
産後うつを含めた精神的なものはいかがでしょうか。
木戸
いま産後うつは大きな問題になっています。妊産婦さんが産後自殺される方も少なからずいることが大きな社会問題になっています。日本の文献で、産後において、うつの発症リスクが有意に上がる、貧血により産後の母乳育児率が下がってしまうといった報告があり、興味深いデータです。
山内
あまり深刻になる必要はないけれども、かといって見逃すわけにはいかないという感じですか。
木戸
育児にも影響してしまうので、そういう意味ではきちんと治療する必要があります。妊娠中から貧血があることもそうですが、出産時にかなり出血の多い方がいらっしゃいます。そういった場合はきちんと治療して、貧血を治し、安心して育児ができるようにすることが非常に重要かと思います。
山内
治療に戻りますが、鉄剤の投与開始というレベルに達した場合は、急いで是正したほうがよいのでしょうか。
木戸
できるだけ早めに治療したほうがよく、鉄剤による治療として経口投与と静注がありますが、基本的には経口投与が原則となっています。
ただ、経口投与の場合、吐き気がある、便秘になるといった消化器症状も起こりやすく、特につわりの時期など、妊娠中はおなかも大きいので、逆流性の炎症なども起こりやすく、コンプライアンスが悪くなりやすいという問題があります。
山内
その辺り、なかなか難しくなってくることから、静注もやむなく出てくることがあるのですね。
木戸
基本的にはクエン酸第一鉄ナトリウムが多いですが、吐き気が強い場合は徐放製剤や液状のシロップで飲んでいただきます。
山内
小児用のですか。
木戸
小児用のものをお使いいただくことがあります。
静注の場合、鉄が過剰に入ってしまうことがあるので、開始前にきちんと投与量を計算して使っていただくことと、アナフィラキシーショックを起こすことがあるので、その点を注意して使うことが求められると思います。
山内
鉄剤の中止の目安はいかがでしょうか。
木戸
ヘモグロビン値が正常になって見かけ上、よくなったように見えても貯蔵鉄が足りないことがあるのでそれでよしとしてはいけません。ガイドラインでも、ヘモグロビン値が正常値になっても、貯蔵鉄を補充するために治療期間は6週間を推奨するという記載があります。けっこう長く治療することになります。
山内
逆に言えば、6週間で一度チェックしなさいということになりますね。
木戸
そこでもう1回チェックして、ご本人が飲んでいますと言っても、あまりきちんと飲めていないこともあります。検査して、ヘモグロビン値があまり上がっていない場合、「実はきちんと飲んでいなかったです」と言う患者さんもいますので、きちんとフォローする必要があると思います。
山内
メルクマールとなる指標として、血清鉄やフェリチンは使われませんか。
木戸
非妊時の場合はフェリチンが貯蔵鉄なので、早期から低下することで貧血の診断に有用ではありますが、妊娠・分娩時の場合は生理的ないろいろな炎症があるので、必ずしもフェリチンが正確な値にならないこともあります。フェリチンというよりは、ガイドラインではヘモグロビンとMCVを推奨しています。
ただ、血清鉄やTIBC(総鉄結合能)、UIBC(不飽和鉄結合能)等も調べると、診断にはより有用かと思います。
山内
最後に、まれだとは思いますが、若くても、スキルス胃がんのことがあります。先生もご経験がありますか。
木戸
そうですね。あとは血液疾患で白血病、自己免疫疾患、ヘモグロビン異常症、様々な疾患が背景にあることもあります。治療になかなか反応しない場合、何かほかに症状がある場合は専門医にきちんとコンサルトする必要があるかと思います。
山内
急速な貧血の進行は共通するものと考えてよいでしょうか。
木戸
そうですね。
山内
症状もかなり深刻なものが出てきますから、たかが貧血と思わないようにということですね。ありがとうございました。