齊藤
日本における動脈硬化性疾患のガイドラインの変遷、その経緯についてうかがいます。
多田
1987年の日本動脈硬化学会の冬季大会で、私の恩師の中村治雄先生が会頭をされたときにコンセンサスカンファレンスが開催されました。ここで、高脂血症の値、診断基準値が提案されたということで、わが国においても、日常診療における高脂血症診療ガイドラインの必要性の機運が高まったわけです。そういうことで、高脂血症としてのコレステロールの全国レベルで安定した測定法ならびに診断基準値を決めようという集まりがあったのですが、せっかく、こういったことをディスカッションするには、やはり権威をつけたほうがいいということで、日本動脈硬化学会に話を持っていき、日本動脈硬化学会主導によって、高脂血症診療ガイドライン検討委員会が発足しました。当時は、総括班として、秦葭哉先生、馬渕宏先生、齋藤康先生、板倉弘重先生を迎え、コレステロール分科会として、江草玄士先生、井藤英喜先生、寺本民生先生、都島基夫先生。トリグリセライド分科会として、私、多田紀夫に、及川眞一先生、山田信博先生(故人)。それからHDL-コレステロール分科会として山下静也先生、佐久間長彦先生、佐々木淳先生(故人)に分かれて、それぞれ担当における脂質項目の動脈硬化性疾患との関連性を示すエビデンスの文献を集め、必死に読み込んでいったわけです。このように各分科会とも独自にまず文献を収集して、それをピアレビューしたものが集積され、1996年11月に金沢で開催された日本動脈硬化学会の冬季大会(馬渕宏会頭)で高脂血症診療ガイドラインとして発表されました。ここでは日本人成人の高脂血症の診断基準、治療適応基準、それから治療目的値として血清総コレステロール、LDL-コレステロール(LDL-C)、血清トリグリセライド、HDL-コレステロール(HDL-C)の値がそれぞれ発表されました。先の中村治雄先生のコンセンサスカンファレンスに遅れるところ約10年でしたが、ここでは、わが国で発表された、6つの疫学調査から血清総コレステロール値と冠動脈疾患発症との相対リスクの関連性も報告されました。アメリカのMRFIT(Multiple Risk Factor Intervention Trial)では、血清総コレステロール値と冠動脈疾患死亡との相対リスクの相関図が描かれていますが、これと比べて血清総コレステロールの値と冠動脈疾患の相対リスク、これがほとんど同じところに落ち着くことがわかりました。確かに日本における冠動脈疾患発症頻度は、アメリカに比べて低いですけれども、血清総コレステロール値と冠動脈疾患相対リスクとの関連性を示すパターンとしては同じような間柄を示すことがわかりました(図)。
齊藤
ちょうどそのころに、スタチンによる重要な研究が発表されたのですね。
多田
はい。有名なのが1994年に報告された4S(the Scan dinavian Simvastatin Survival Study)という二次予防試験が発表されたことと、それから、翌1995年に一次予防試験のWOSCOPS(the West of Scotland Coronary Prevention Study)が発表されました。4Sはシンバスタチンを使って、実際にLDL-C値が有意に低下したと同時に冠動脈疾患の死亡だけではなく、あらゆる原因による死亡も有意な減少をもたらしました。それから、男性の高脂血症患者の一次予防をみたWOSCOPSではプラバスタチンを使いましたが、ここでも血清LDL-C値の有意な低下とともに、冠動脈疾患の死亡が有意に減少しました。
齊藤
アメリカ、スコットランドのデータが出たのですが、日本ではどうかということが話題になってきましたね。
多田
そうですね。日本ではどうなるかということで、日本初のスタディも組まれました。スタチン薬に関しては、プラバスタチンを使ったスタディがありまして、中村治雄先生が責任医師を務めた2007年報告の一次予防試験MEGA Studyがあります。これにおいても冠イベント発生の強い抑制効果が得られています。
齊藤
それからJELIS研究(Japan EPA lipid intervention study)もありました。
多田
はい。JELISというのは2007年に報告された臨床比較試験です。これは海の脂肪酸ともいわれている、エイコサペンタエン酸(EPA)を用いたスタディです。これによって、冠動脈疾患が減って死亡も減ってきたという結果が出たのです。これは、実際には1,800㎎のEPA+スタチンを投与した群とスタチンだけを投与した群の2つを比べて、結果としてEPAを加えることによって主要冠イベントの発生が減ったということがわかったのです。
齊藤
そういった研究とともに、ガイドラインも改訂されていったのですね。
多田
はい、そのあたりの経過とガイドラインの変遷を表にまとめてお話しします。高脂血症診療ガイドラインが1997年に発表されましたが、その5年後の2002年、今度は動脈硬化性疾患診療ガイドライン2002年版という名称で発表されました。これは久山町のスタディやJ-LIT(the Japan Lipid Intervention Trial)などその他、多くの薬物治験の結果が組み込まれて、ここでわが国の疫学的成績を基に危険因子を重視したガイドラインが出てきたということです。そして、患者カテゴリー別の脂質管理目標値が設定されました。
診療において、やはりもっと大事なのは予防だということで、2007年には動脈硬化性疾患発症予防に重きが置かれ、動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版として発表されました。この段階で高脂血症という名前を脂質異常症に変え、「高脂血症の診断基準」は「脂質異常症の診断基準」と変更されました。同時に、LDL-C値の評価が大切だということがわかってきまして、それが盛り込まれ、総コレステロール値は診断基準から除外され、代わってLDL-C値が診断基準に採用されました。それからもう一つはメタボリックシンドロームという、内臓肥満を基盤とし、高血圧や糖尿病、高トリグリセライド血症、低HDL-C血症といった脂質異常症などの様々な危険因子が一緒に集まって発現する病態が、非常に動脈硬化性疾患の発症に関与していることがわかってきました。たとえ、それぞれの病態としての数値はたいしたことがなくても、重なることによって問題が大きくなるMultiple Risk Factorという概念が非常に大事だということで、メタボリックシンドロームという考えがガイドラインの中にも導入されました。
その後、動脈硬化性疾患予防ガイドライン2012年版では、日本人の疫学データであるNIPPON DATA80の成績に基づいて冠動脈疾患死亡率スコアが算定され、絶対リスクのチャートが作成され、それを利用して症例のもつ絶対リスクを評価して血清脂質管理に反映されるようになりました。それと同時にNon-HDLコレステロールという概念が出てきました。なかなか空腹時採血を励行することが困難であることから、これをどういうかたちで評価して、また治療に反映していくかも討議されたのです。
そして、動脈硬化性疾患予防ガイドライン2017年版においては、今度は死亡だけではなくて冠動脈疾患そのものの発症を予防するという考えをもっと全面的に出したガイドラインになっています。吹田スタディという冠動脈疾患を対象とした疫学的成績があるのですが、これを利用して、動脈硬化性疾患の絶対リスク評価指標として冠動脈疾患の10年間にわたる発症率をアウトカムとする吹田スコアが採用されました。ここでもやはり予防チャートを作って、死亡というよりも動脈硬化性疾患の発症予防に対応したガイドラインとなりました。
そういったことで、今回の2022年版につながるわけですが、ここでは、基盤となる評価スコアが吹田スタディからまた離れ、久山町研究に基づくものになりました。ここで、なぜ評価方式が変わったかというと、心血管病の中で虚血性の脳血管障害といったものをリスクとして一緒に入れてカウントしようという中で、冠動脈疾患とともに、アテローム血栓性脳梗塞発症も併せて評価できる久山町研究スコアが取り上げられたということです。それから今回のガイドライン改訂では、随時(非空腹時)血清トリグリセライドの病態としての基準値が175㎎/dL以上として記述されたことも挙げておかねばなりません。
齊藤
日本での臨床研究、疫学的研究に基づいてガイドラインが改訂されてきたということですね。
多田
そうです。それで、これまで5回、いろいろなかたちで進展してきたガイドラインが出てきたわけです。ガイドライン作成の目的は、動脈硬化性疾患および関連疾患の医療、それから医学の専門家、あるいは専門医の立場から現行の科学的および医学的公正さと妥当性を担保して、対象となる疾患の診療レベルをいかに向上させようかということと、対象患者さんの延命といいますか、健康寿命の延伸、QOLの向上を目指して作成されたのです。そして、確かに疾病の予防、重症化予防を目的としていますが、これはあくまでもガイドラインですので、絶対的なものというよりも、臨床の場で診療している担当医の診断や治療の判断をあくまでも、サイドから担保するものだということです。実際には現場の担当医が、患者さん個々に対してこういったガイドラインを参考にしていただいて決定するのであり、必ずしもこのとおりにやらなくてはいけないわけではないというスタンスも非常に大事なことです。また、本企画は、日本動脈硬化学会の協力によって構築されたものであることを最後にお話しさせていただきたいと思います。
齊藤
ありがとうございました。