齊藤 多田先生は、杏林シンポジアの編集委員を務められた中村治雄先生の後任として編集委員を務めていただきます。
さて、日本動脈硬化学会から動脈硬化性疾患予防ガイドライン2022年版が発表されたとうかがいましたが、それについてお話しください。
多田 はい、日本動脈硬化学会発の予防ガイドライン2022年版が一昨年、発表されました。これは1997年発行のガイドライン、当時は高脂血症診療ガイドラインと言っていましたが、これから数えて5回目の改変作成となります。ここで取り上げていただくことはたいへんありがたいと思うのですが、わが国では高齢化が進み、生活様式の欧米化に伴って、がんや血管障害、こういった原因による死亡がどんどん増えています。動脈硬化性疾患死は死亡統計上、がんと並んで大きな位置を占めており、死因としては22.5%を占めていて、頻度の増加は、これからも予想されるわけで、それに対応した予防治療対策は喫緊の課題となっています。こういったことが以前から言われ始めまして、動脈硬化性疾患予防ガイドライン2022年版の発表に至ったのですが、私が医学部を卒業した1972年の時点では、ヒトの動脈硬化というのは、経年性の変化であって、後戻りすることができない、すなわち退縮できない病変と見なされていました。
齊藤 そのころはまだ動脈硬化性疾患というのは、あまり重要に考えられていなかったということですが、五島雄一郎先生がアクティブに活動されていたように記憶しております。
多田 はい、おっしゃるとおりです。私も当時は高血圧に興味を持って、そちらから勉強を始めたのですが、粥状動脈硬化症ということになれば、なかなか高血圧症との関連がたどれないということで、当時、五島雄一郎先生が老人内科というのを作り、そこの主任をされたということで、門を叩いたというわけです。
齊藤 欧米での疫学研究が増えてきたということでしょうか。
多田 そうですね。当時は1958年に始まったSeven Countries Studyというのがありまして、これはわが国も含めた(天草の牛深、久留米の田主丸が参画)7つの国々で、独自のテーマを決め、それぞれの生活様式、食事内容、とりわけコレステロールや脂肪酸摂取と動脈硬化性疾患、心血管疾患発生頻度との関係など、こういったものを網羅的に調査したフィールドワーク、コホート研究です。それから、これもたいへん有名なスタディですが、1948年から始まりましたFramingham Heart Studyの研究が寄与して、動脈硬化性疾患の発症には加齢現象や性別、家族歴、喫煙歴、高血圧、肥満、耐糖能異常、こういった危険因子の関与が強いということもわかってきたのですが、血清脂質の値がどういうかたちで関与しているかがなかなかわからなかったということもバックグラウンドでした。
齊藤 Framingham Heart Studyは、1948年に始まって、それから約10年で危険因子という概念を出してきたということですね。そういったものの日本の学会あるいは医師の受け取り方はどうだったのですか。
多田 まだコレステロールに関しては認識が少なくて、ある大学の教授クラスの方でも患者さんで血清総コレステロール値が300㎎/dLぐらいあっても平気で放っておくという、そういう時代でした。というのも、エビデンスがなかったので、下げたら本当にいいかが問題視されていたということと同時に、コレステロール値が低い人の中には担がん状態の方がけっこういました。また秋田地方の臨床成績からみると、脳内出血患者ではコレステロールが低いとかえって死亡率が上がるのではないかという危惧も当時はありました。疾病と血清脂質の値とのかかわりというのは、なかなか確かなエビデンスが出ていなかったので、それは仕方がない話だったのです。
齊藤 臨床的には、壁があったということでしょうけれど、実験的な研究も並行して行われていたのですね。
多田 はい。実は、ウサギを用いてヒマワリ油に溶かし込んだ鶏卵由来のコレステロールを経口投与し、高コレステロール血症を作成し、動脈硬化性病変を作成したのは、Anichkov(アニチコフ)というロシアの病理学者で、1913年のことです。ここで初めて血清コレステロール値と動脈硬化性疾患とのかかわりが出てきて、その後1928年に低コレステロール食に切り替えたことで、ウサギの動脈硬化性病変が退縮されたという報告がありました。当時、それまでは動脈硬化はいったん形成されると退縮しない病変だといわれていたのですが、実際、コレステロールを下げると、ヒトでも動脈硬化が退縮することが1976年にBlankenhorm(ブラッケンホルム)によって観察されたということで、世界的にもコレステロールの値に対して興味関心が集まってきたのです。
齊藤 そういった実験的な研究を背景に、今度は臨床ということになりますね。
多田 当時、臨床検査の中でコレステロールも測られていたのですが、全国津々浦々、同じ信頼度レベルの方式で測っているかというと、なかなかそうはいかず、どうすれば日本国内でも一定のレベルでコレステロールを測れるのか、ということも言われ始めてきました。1987年の日本動脈硬化学会の冬季大会で、私の恩師である中村治雄先生が会頭のときに、学会所属の臨床医にアンケートを出し、血清脂質の値がどの程度のところで、高脂血症患者として考えているのかを問うコンセンサスカンファレンスが開催され、ここで高脂血症の値、診断基準値が提案されました。この時点で血清コレステロール値が220㎎/dL以上、空腹時における血清トリグリセライド値が150㎎/dL以上、HDL-コレステロールの値が40㎎/dL未満を異常値とすると、コンセンサスカンファレンスで出てきたのです。あくまでもこれはコンセンサスに基づくものでエビデンスではないということで、初めて国内でデータをたくさん集めて、高脂血症のガイドラインを作っていくという機運が高まってきたのです。実際アメリカにおいても、こういった高脂血症と動脈硬化性疾患のかかわりの中で血清脂質の基準値の作り方がエビデンスとして疫学的に信頼性をもったガイドラインとして初めて発表されたのは、その翌年の1988年だったということです。その意味でも、わが国のコンセンサスガイドラインは先駆けであったといえます。
齊藤 コレステロールについてアプローチしていこうという機運が高まってきたところで、スタチンが日本でも使えるようになったのですね。
多田 そうですね。
齊藤 プラバスタチンが1989年、それからシンバスタチンは1年遅れて日本でも使えるようになり、それ以前に使われていた薬剤よりも非常に使いやすいと臨床医がとても好意的に受け取ったということですね。
多田 そうですね。それ以前は、幾つかコレステロール改善薬、例えばニコチン酸誘導体やフィブラート系薬剤などもあったのですが、そういう臨床成績を見ていると、服用して血清脂質値が低下したにもかかわらず総死亡率の低下がなかなか認められなかったということで、そこも多くの人が血清脂質の値に疑問を持ったといったこともありました。
齊藤 そうですね。スタチンは、日本の遠藤章先生が1976年に作ったということが広く知られていて日本発の重要な薬ですね。
多田 そうですね。あと神戸大学の渡辺嘉雄先生のところで、家兎で遺伝的にコレステロール値が高いウサギ、WHHLというのですが、それが見つかって、コレステロール値が高いウサギがやはり動脈硬化を起こすということも同時に発見されました。両方とも日本発ですね。たいへんな仕事だと思います。
齊藤 それが結局、ノーベル賞につながったのですか。
多田 BrownとGoldsteinたちがその研究に目をつけて、それを利用したことでLDL receptor(LDL受容体)の発見につながり、家族性高コレステロール血症という遺伝病の病態解明につながったわけで、彼らの疾病解明から治療法に至る一連の仕事が認められてノーベル賞受賞となりました。
齊藤 なるほど。次回は、日本でのガイドラインの変遷についてうかがいます。どうぞよろしくお願いいたします。
動脈硬化性疾患の予防を考える(Ⅰ)
ガイドライン策定の背景・黎明期
東京慈恵会医科大学客員教授
多田 紀夫 先生
(聞き手齊藤郁夫先生)