池田
この収録は2023年1月23日に行っております。質問にあるS抗体が陽性になるS抗原とは何なのでしょうか。
長谷川
S抗原というのは、ウイルスの表面にあるスパイクタンパクのことで、ウイルスが細胞の受容体に結合する機能を持っているタンパクです。ですから、感染した時に最初に我々の細胞に結合するタンパクです。
池田
では、S抗体が認識するスパイクタンパクがなければ、感染できないということですね。
長谷川
そういうことになりますね。
池田
この方は感染は明らかということなので、必ずS抗原を持っていたのですよね。
長谷川
はい、そうですね。感染を起こす最初の部分なのでワクチンの成分としても使われているのがS抗原で、Sタンパクになります。この方の場合には、感染されているので感染したウイルスがスパイクタンパクを持っていたのは確かだと思います。
池田
もう一つ、PCR陽性で感染から4週間後に測定したということですが時期的なことはどうなのでしょうか。
長谷川
一般的にウイルス感染から10日~2週間以降に検出できるレベルのウイルスに対する抗体ができますので、その4週間後というのは本来であれば、抗体が上がっている時期になります。
池田
では、時期的に見てもS抗体が陽性でなければいけないのですね。
長谷川
はい、そういうことになります。
池田
ではなぜこのようなことが起こっているのでしょうか。
長谷川
第一は、抗体の誘導の程度には、非常に個人差があります。ですから、感染後に高い抗体価が誘導される人もいれば低い人もいます。この方の場合、陰性ということなのですが、実は現在国内で広く使われているS抗体の検出方法は、最初に流行したいわゆる武漢株といわれているウイルスのS抗原に対する抗体を検出するキットになっています。それが2022年のオミクロン株の流行以降、この検出系によって検出できる抗体は、割合が非常に少なくなっています。つまり、その検出に使っている抗原がオミクロン株とマッチしていないということですね。
池田
武漢株から始まっていろいろ変異した時に、スパイクタンパク自体に何カ所も変異が起こっているので、一番元の武漢株のスパイクタンパクを認識する抗体が作られていない可能性があるということですか。
長谷川
抗体応答が非常に強い方の場合は、交差応答といって武漢株に対しても反応する抗体もできてくるのですが、オミクロン株に感染した方は武漢株に対する抗体が非常に誘導されにくく、特にワクチン接種していない場合がそうなります。ワクチンはもともと武漢株で作られているので、ワクチン接種歴がある方はオミクロン株に感染しても武漢株のSタンパクに対する抗体が上がってくる傾向がありますが、ワクチンを未接種で今まで全く武漢株に曝露されていないような状態でオミクロン株に感染した場合、オミクロン株に対する抗体は上がるのですが、それが今の検出系ではきちんと検出できていないことになります。
池田
では、この質問の症例で1回もワクチン接種をしていないということは、武漢株のスパイクタンパクも持っていないということなのですね。
長谷川
そういうことですね。以前、国立感染症研究所で行った調査でも初めてオミクロン株に感染したワクチン未接種者の場合、武漢株に対するS抗体が検出された割合は、4割ぐらいでした。ですので、6割ぐらいの方は感染していてもS抗体が検出されない陰性なので、それにあたるのかと思います。ただ、そういった陰性になっていてもオミクロン株に対する中和抗体を測定すると8割近い人が陽性になるので、必ずしも武漢株に対するS抗体が陰性だからといってオミクロン株に対する中和抗体が上がっていないということではないと思いますね。
池田
ここでのS抗体の測定法というのは、どのようにされているのでしょうか。
長谷川
一般的にウイルスの抗原を用意してそれに反応する抗体を検出するので、抗原のほうが感染したウイルスと異なるものだと検出できないことになってしまいます。要は抗原に結合したものを判定するということです。
池田
スパイクタンパクを用意して、それにつく抗体があるかをみるのですね。一方、中和抗体はどのように測るのでしょうか。
長谷川
細胞にウイルスを感染させると感染が成立するのですが、そこにその抗体を入れた時、もしくはこの場合のように、血清を一定の濃度で希釈したものを入れたときに感染を阻止する、中和するという言い方もできますが、そういったものを中和抗体と呼んでいます。
池田
では見ているものが違いますね。今、行われているS抗体の検出法は、抗原Sタンパクに抗体がつくかどうかを見ているのですね。
長谷川
結合抗体を検査しています。
池田
一方、中和抗体というのは、細胞にウイルスが入るかどうかをみるものなのですね。
長谷川
機能的に細胞にウイルスが感染するのを阻止するかどうかをみるのが中和抗体です。
池田
そこは抗体の性質や量などにも微妙に影響を受けるパターンですね。S抗体の現在の検出法と中和抗体の機能的な解析法が少し違ってくるというのは理解できました。今はオミクロン株が中心ですが、それに対する抗体の検査は開発されているのでしょうか。
長谷川
実験室では可能なのですが、それを一般の体外診断薬として使えるようになるかというと、そこは診断薬を作っている企業によりますので、今のところできていないのが現状です。ですから、感染したかどうかを調べるには、Sタンパクに対する抗体を調べるよりも、Nタンパクに対する抗体を調べるほうが感度は高いと思います。
池田
逆にこのNタンパクが反応するN抗原とは何なのでしょうか。
長谷川
ウイルスのヌクレオプロテインの略のNで、ウイルスが増殖する時に使う機能的なタンパクになります。
池田
これが変異を起こしてしまうと、ウイルスは自己合成にとって不都合なのでしょうか。
長谷川
はい。NタンパクのほうがSタンパクよりも変異が入らない状態で保存されているので、オミクロン株であっても武漢株のN抗原に対して反応するような抗体を誘導できることになります。ただ、N抗体といっても感染者で陽性になるのは6割程度の方ですので、感染しても必ずしもN抗体が陽性になるとは限らないことも注意が必要だと思います。
池田
なかなか難しいですね。基本的に感染したかどうかはPCR検査等でみていくのは変わらないのですね。
長谷川
その時に感染しているかどうかをみるのはPCR検査ですね。
池田
SARS-CoV-2はとても変異が入りやすいのではないかと考えられているのですが、例えばインフルエンザもこのような状態になっているのでしょうか。
長谷川
はい。ウイルス、特にRNAウイルスというのは、非常に変異が入りやすくて、ウイルスが増殖するたびに、比較的頻繁に変異は入っていくものです。インフルエンザウイルスも同様にかなり変異が入っていて、毎年流行してくるウイルスは新しいウイルスに変わってきています。
池田
インフルエンザの場合は例えばオミクロンなどといった名前は付かないですね。
長谷川
そうですね。インフルエンザの場合には、ある一定の抗原性、遺伝的にはクレードというグループで判断しています。グループ名は年々新しくなって分かれてきてはいますが、1個変異が入ったからといって新しい名前が付くという頻度では、その名前を変えていないという現状があります。
池田
N何とかH何など、こういう字がありますよね。
長谷川
ヘマグルチニンのHとノイラミニダーゼのNでHとNの番号はありますが、その同じ番号の中のウイルスの中でも変異が入っています。
池田
そうなのですか。本当はどんどん変わっているけれど、あまり変わっていないように見えるだけなのですね。
長谷川
はい、そうですね。例えばH1N1ですと2009年のパンデミックから今までずっと流行していますが、その中でもかなり変わってきています。
池田
世界的に新型コロナウイルスの全ゲノムを調べているのでこのようにわかっているだけなのですね。
長谷川
現状は調べられてしまうといいますか、全ゲノムを短時間で調べられますので、すぐに新しい変異が見つかって新しい名前が付いているのです。大きく性質が変わることを検出するのが重要だと思いますので、病原性が変わるとか抗体から変異してワクチンが効かなくなるというのは重要だと思いますが、あまり細かく分けてしまっても難しくなるだけかなという気はしますね。
池田
一般の方々の恐怖をあおる一方で、本当に医学的に意味があるのかなという印象を受けています。どうもありがとうございました。