池脇
基本的な質問で恐縮ですが、僧帽弁逸脱症、僧帽弁閉鎖不全症、多分これは重なりがあるのだと思いますが、イコールではないのですね。
加瀬川
そこは大事なところだと思います。僧帽弁閉鎖不全症といえば、僧帽弁の2枚の葉っぱがきちんと閉じないで逆流が生じるという病気で、その成因は変性以外にも、リウマチ性、先天性、感染性、虚血性、それから心筋症に伴うものなど、非常に幅が広い。僧帽弁逸脱症のほうは弁がずれている病気です。これは正確に表現することが大事だと思うのですが、Carpentierという弁形成術のパイオニアの定義によれば、僧帽弁の先端(Free edge)が左心室が収縮するときに弁輪平面(左心房と左心室の間の平面)を越えてしまう。これが僧帽弁逸脱症です。ですから、たまたまその1/3ぐらいが逸脱していても、反対側がボリュームがある組織だったり、あるいはそこも軽く逸脱していたりすると、閉鎖不全が生じないということも起こりうるのです。僧帽弁逸脱症というのは弁の先端が左心房側にあるということ。少し混乱が見られているようですが、これは大事な定義だと思います。
成因については、病理学的な分類としては粘液腫様変性、myxoid degenerationとfibroelastic deficiencyの2つに大別されますが、肉眼的に明らかに区別できる特徴があります。myxoid degenerationのほうは弁が分厚くなっていて、fibro elastic deficiencyのほうは弁が薄くて正常の弁に近いような肉眼的所見です。いずれも退行性変性や変性などといって、特発性すなわち原因がよくわからないといわれています。
池脇
違いがはっきりしました。
高齢者の大動脈の硬化症あるいは狭窄というのは、何となく動脈硬化性の変化が弁に出ている、いわゆる加齢的な要素がそこにありそうですが、変性というのは年齢的な分布があるのでしょうか。
加瀬川
それはないと思います。エコーが非常に進歩して、1990年代から手術、特に僧帽弁形成術が世界的に普及して、我々も手術する機会が非常に多くなりましたが、平均年齢は世界の論文を見ても、だいたい50代が多いです。起こる時期としては、青年期ではないかといわれています。子どもにも、先ほどのmyxoid degener ationと同じようなfloppy valveというのがあるので、加齢による変化ということではないです。
池脇
基本的に疾患というのは、その疾患が発症して、患者さんが困って病院に来て診断という流れですが、一方でこの病気というのは何も自覚症状がなく、健診の場で心音の異常、心雑音などをきっかけにして見つかることも多いのでしょうか。
加瀬川
非常に多いですね。心エコー検査をやればすぐわかるのですが、人間ドックではなかなかやらないので、心雑音から気づくことが多いです。
池脇
おそらく、心エコーの技術が進歩して、そういったものをきちんと正確に早期に診断できるようになったことで、僧帽弁逸脱症の患者さんが増えているのでしょうか。
加瀬川
非常に増えています。今も年々増えていると思います。
池脇
どのくらいの方が自覚症状があって、どのくらいの方が無症状なのかわかりませんが、そのぐらいのレベルで診断がついたけれども、本人は何も症状がないことも十分あるのですね。
加瀬川
そうですね。手術をする方は、だいたい僧帽弁閉鎖不全症の逆流の程度が高度になって手術を受けるわけですが、高度になっても手術を受ける方が症状を訴えないことが非常に多いです。心臓は何か都合の悪いことがあると、それを打ち消そうとする代償機能というのがありますが、心不全になっても安静にしているとだんだん症状に慣れてしまいます。もちろん治療するわけですが、多くの場合、歩いて退院できるようになります。高度の逆流でだいぶ心臓に負担がかかっているのに無症状、症状を訴えないということが非常に多いです。
池脇
エコーで僧帽弁逸脱症だといっても、本人は特に何も自覚症状がないし、おそらく血行動態的にもそんなに変化がないという場合は、治療というよりもむしろ経過観察ということなのでしょうか。
加瀬川
そうですね。治療を外科的治療に持っていくかどうかは、一人ひとり、僧帽弁の逸脱のタイプによります。腱索というひもが切れてぶらぶらしているようなタイプの人は要注意で、ひもが切れていると、隣のひもにすごく負荷がかかって、やがてそこも引っ張られて切れやすくなる。そういうタイプの方は次のひもも切れたときに非常に強い心不全になることもありますから、エコーの所見によって、そこからどういうふうに外科治療に持っていくかの判断が大切になります。
あるいは、逆流の程度が中等度から高度の間ぐらいの場合にも、非常に安定した動き方の弁もあるので、そういう場合はほかの状況、例えば年齢や手術した場合のリスクなど、この弁の形成のfeasibilityといいますけれども、できるかどうか、つまりうまく形成できる可能性がどのぐらいあるか、これは病院、チーム、外科医によって違うと思いますが、その判定は非常に重要だと思います。ですから、形成できる確率が非常に高そうな場合には、あまり待たずに、早めに手術を行う。これは1990年代、世界中でearly surgeryという流れがあって、そこでMICS(低侵襲手術)という必要性が出てきたのです。
池脇
手術を中心とした治療について聞く前に、2点ほど確認したいと思います。胸痛を訴えるとありますが先生の印象として、この逸脱症の患者さんの胸痛というのはどうなのでしょうか。
加瀬川
確かに教科書には症状の一つとして胸痛と書かれているものが多いと思いますが、僧帽弁逸脱症の特異的な症状ではないと思います。これは私だけではなくて、大抵の専門医はそういう意見です。実際に自分の経験でどうかというと、手術の前に胸痛を訴えていた人というのは非常に少ないですし、もしそういうことがあっても、手術して逆流が治ったら胸痛が取れました、という経験はないですね。ですから、心房細動などの症状だったのか、あるいはたまたま何か別の胸痛を起こす疾患あるいは状態があったのかもしれないです。
池脇
もう1点、日常生活で注意することはありますかということですが、これはどうでしょうか。
加瀬川
やはり血圧が高いと逆流が増えます。軽い逆流だと思っていたら血圧が非常に高くなり心不全になったけれども、血圧を下げる薬を使ったら心不全が取れたということもありますし、手術後なども血圧を高くしないことが非常に大事です。
池脇
そういう意味では高血圧のある方の場合は血圧の管理をきちんとやって、ストレスのかからないような規則正しい生活を、ということなのでしょうか。
加瀬川
おっしゃるとおりだと思います。
池脇
最後に、先生がやってこられた外科としての治療ですが、人工弁の置換と形成ということなのでしょうか。
加瀬川
はい。そこは詳しく話すと時間がかかりますが、概略としては、人工弁には機械弁と生体弁という2種類がありまして、特に機械弁のほうはワルファリンという薬を血栓ができないようにのむ。毎日ただのむだけではなくて、しっかりコントロールすることが必要で、これがうまくできない事情がある国、例えばアジアのある国などでは機械弁は入れられない。なぜかというと、患者さんが病院に来ないし、しっかり薬をのめないこともあって亡くなることもある。日本ではわりと成績が安定しているのですが、逆にそれだけ管理がたいへんでしっかり管理しないと生命にかかわるということです。ですから、国内の学会の統計などでもだんだんと機械弁の使用率は減ってきて、今は形成が増え、2017年の統計では7割が形成で、機械弁は1割になっています。生体弁が2割弱ぐらいです。やはり生体弁はQOLが手術前とあまり変わらないというメリットがあります。
池脇
最後に、MitraClip(マイトラクリップ)というデバイスを使った治療が最近出てきたと聞いたのですが、これは内科的治療に入るのでしょうか。
加瀬川
2018年から国内で使えるようになりました。我々外科医からみると、最初の頃は「それではちょっと」と思ったのですが、やはり高齢の方、手術のリスクが高いが心不全があるような方は、何とか治療しないといけない。そういうときに一つの有効な手段だと思います。ただし、前と後ろの僧帽弁の葉っぱをクリップでつまむのですから、つまみやすい状態かどうか解剖がそれに適していなければならず、全部が逸脱しているような場合は適応しづらいですね。
池脇
いろいろなオプションが出てきたということですね。
加瀬川
はい。
池脇
どうもありがとうございました。