ドクターサロン

外来で患者さんに使う「どうぞお掛けください」という声がけですが、皆さんならこれを英語でどのように表現しますか? 英語圏ではこのような場合に“Please have a seat.”や“Please take a seat.”と表現するのが一般的なのですが、これを“Sit down, please.”のように表現してしまうと「まぁ座れ」のように聞こえてしまいます。

語学学修の基本は「実践の観察とその模倣」であり、英語学修においても「英語ではどのような表現が実際に使われているか」を観察して、それを模倣することが重要なのですが、日本の英語教育ではこの視点が軽視されている印象があります。ですから「命令文にpleaseをつけると丁寧な表現となる(はずである)」という法則だけが重視され、“Sit down, please.”も「どうぞお掛けください」という意味になると誤解されてしまうのです。

今日はどうなさいましたか?」という表現も“How can I help you today?”や“What brought you here today?”などが実際に英語圏で使われる表現です。これを“What is wrong with you?”や“What is a problem with you?”と表現してしまうと、「何が不満なの?」や「何か文句あるの?」のように聞こえてしまいます。また“Why did you come to this hospital?”にも「(来なくてもいいのに)何でここに来たの?」というニュアンスがあります。ですから外国から日本に来た方に「どうして日本に来られたのですか?」と尋ねる際にも“Why did you come to Japan?”ではなく、“What brought you to Japan?”という表現の方が好ましいと言えます。

「ご職業は?」と尋ねる場合には“What do you do for a living?”や、これを簡素化した“What do you do?”と表現します。これを“What is your job?”と表現すると、警察での取り締まりで尋問しているような印象を与えます。

医師として患者さんに「禁煙された方がいいですよ」などと表現する場合も“You should quit smoking.”のようにshouldを使います。これをhad betterを使って“You had better quit smoking.”のように表現すると、「禁煙したんだろうな」や「当然タバコ吸うのはもうやめたんですよね」のように威圧的に聞こえてしまいます。

患者さんの理解を確認する際に「わかりましたか?」と尋ねる際も“Does it make sense?”という表現が自然です。これを“Do you understand?”と表現すると、上から目線で「わかる?」と問い詰めているように聞こえるからです。

患者さんから質問をされてその答えがわからない場合、「わかりません」と誠実に回答することは大切ですが、その表現としては“I'm not sure.”が無難です。これを“I don’t know.”と表現するのはお勧めしません。この表現には使い方によっては“I don’t care.”というニュアンスも含まれるので、患者さんが気分を害する可能性があるからです。

海外からの講師を招いた講演会の際に「先生のご講演で一番お伝えしたいことは何ですか?」と尋ねる場合、“What is the point of your lecture?”などと表現したらその講師はきっと気分を損ねることでしょう。これは「この講演をやる意義はあるんでしょうか?」という意味になるからです。こういう場面では“What is the main message of your wonderful lecture?”のような表現を使いましょう。

これ以外にも「英語圏では実際には使われない英語表現」が日本の医療現場では数多く使われています。

日本の医療現場では胸部レントゲン写真の読影の際に「CP angleがdullです」という表現がよく使われますが、実際に“The CP angle is dull.”という表現が英語で使われる場面に遭遇したことがある方はほとんどいないと思います。

実は英語圏ではCP angleという表現はほとんど使われません。米国人医師に“The CP angle is dull.”と言っても、おそらく理解してもらえないでしょう。英語圏ではこのCP angleは省略せずにそのままcostophrenic angles(左右あるので複数形になることが多いです)と表現することが一般的です。また「鋭角」になっている場合にはsharpという表現が使われますが、「鈍角」になっている場合にはdullという表現はほとんど使われず、その代わりにbluntedのような表現が使われます。つまり「CP angleがdullです」を英語で表現すると“The costophrenic angles are blunted.”のようになるのです。

心電図の「陰性T波」も日本では「negative T波」のように呼ばれることがありますが、これも英語では一般的ではありません。英語ではT wave inversioninverted T wavesと表現されます。

腸閉塞」は日本ではileusと呼ばれ、そこから「機械性イレウス」 mechanical ileusや「麻痺性イレウス」 paralytic ileusという分類がありますが、これらも日本独自の表現です。英語では「腸閉塞」はbowel obstructionとなり、「機械性腸閉塞」はmechanical bowel obstructionと、「麻痺性腸閉塞」はfunctional/paralytic bowel obstructionとなります。そして英語のileusは、このfunctional/paralytic bowel obstructionを意味するのです。

日本ではドイツ人医師の名前から「バセドウ病」として定着しているBasedow’s diseaseですが、これは英語圏では英国人医師の名前であるGraves' diseaseとして知られています。

このような「英語圏では実際には使われない英語表現」が日本の医療現場で定着しているのは、それらが「日本語の中で日本語として使われている」からです。

私が豪州の大学院で通訳翻訳を学んでいた時、日本人学生にとって一番難しかったのが日本語から英語に翻訳する「日英翻訳」の授業でした。そこで指導教官の先生に厳しく伝えられたのが「英語ではない英語を自分で勝手に作るな」ということでした。

外国人観光客の増加に伴い、今では日本国内でも数多くの英語での標識や案内が見られるようになりました。そしてその中にはとても「奇妙」な英語表現も数多く見られます。これらはすべて「英語ではない英語を自分で勝手に作った」ことの結果なのです。

このような奇妙な英語の標識や案内を作らないための効果的な方法は、「英語圏での標識や案内を観察してそれを模倣すること」です。

昔は英語に関して「実践の観察とその模倣」をすることは実際に英語圏で暮らさないと不可能でしたが、現在はインターネットを介して実現可能です。逆に言えば現在は英語圏で暮らしたとしても、日本語だけを使って暮らすことも可能なほどにテクノロジーが進んでいるため、「英語圏に留学しても英語が身につきにくい時代」とも言えるのです。

現在の語学教育では「動画での学修」が極めて重要になっています。 YouTubeなどの動画コンテンツを使えば、医学の様々なトピックを英語で紹介する動画が無料で簡単に視聴できる時代です。昔は留学しなければ学べなかったような内容も英語で簡単に学べる時代になってきているのです。

私が大学院で通訳翻訳を学んでいた時、「これは英語では何と言う?」という問いの立て方ではなく、「日本人がこの表現を使う場面で、英語圏の人はどのように表現する?」という問いの立て方をするようにと学びました。ですから「『お疲れ様です』は英語で何と言う?」という問いの立て方ではなく、「日本人がお疲れ様ですを使う場面で、英語圏の人はどのように表現する?」というのが正しい問いの立て方なのです。そしてその問いに答えるためには「実践の観察とその模倣」が必要になります。

日本人が「挨拶」として「お疲れ様です」を使う場面では、英語圏の人は“Hi./How are you?/How’s it going?/ Good morning./Good afternoon./Good evening.”のように表現しますし、帰宅前に使う場面では“See you tomorrow.”のように表現します。ですからこのような表現を模倣して使えばいいのです。