池田
髙倉先生は情動調節障害(PBA)について論文発表等をされていますが、どうしてこの疾患に関して研究されているのでしょうか。
髙倉
私は大学病院に勤務しているリハビリテーション科の医師で、脳卒中や神経変性疾患、脳外傷などでいわゆる高次脳機能障害を呈した患者さんの診療をする機会が多くあります。時に不思議な神経症候に遭遇することがありまして、今回のテーマである情動調節障害というのもそんな神経症候の一つです。初めて情動調節障害の患者さんを拝見したときは、何が起こっているのか、非常に不思議に思い、謎が多くて、それでたいへん興味を持ちましたので学会等で発表させていただいたという次第です。
池田
この疾患でない方は、ある感情があって、例えば面白いと笑うとか、悲しいと泣くとか、感情と知能の動きが一致しているのですが、この疾患の状態ではどうなっているのでしょうか。
髙倉
この情動調節障害とは、あまり聞き慣れない病名ですが、「本人が感じている気分や感情とは全く関係なく、勝手に笑い出してしまったり、泣き出したりしてしまう」という状態なのです。
池田
何か引き金はあるのでしょうか。
髙倉
特に面白かったり、悲しかったりすることでなくても、例えば心理検査をして精神的に緊張したとか、あとはエレベーターに乗って、周りがじっと黙っていると、その緊張に耐え切れなくて、プッと笑い出してしまったり、また病室で寝静まっているところで突然笑い出してしまったり、きっかけはあったりなかったり、様々です。
池田
周りから見ていると不思議な感じですね。
髙倉
おそらく周りから見ると勘違いされてしまって、「どうしちゃったんだろう」という目で見られることが多いかと思います。
池田
情動調節障害というのは歴史的にどのように定義や診断がされているのでしょうか。
髙倉
まず情動調節障害という言葉の定義ですが、本人が感じている気分や感情とは関係なく、不随意に、また突然に笑いや泣きといった情動表出が発作的に生じる状態、そのように今は定義されています。近年では英語でpseudobulbar affect、PBAという言葉が用いられています。しかし、実は古くから知られていまして、病的笑い、病的泣き、もしくは強制泣き、強制笑いといったような言葉で表現されていました。
情動調節障害については、現在では筋萎縮性側索硬化症や多発硬化症、パーキンソン病やアルツハイマー病などの神経変性疾患、それから脳卒中、脳腫瘍、頭部外傷後などで生じることが知られています。歴史的なところでみると、古くは1920年代にウィルソン病で有名なKinnier Wilsonによって病的笑い、病的泣きの報告がされています。その後、2000年代になると、有名な神経学者のアントニオ・ダマシオらのグループがこの情動調節障害の報告をしています。
池田
先ほどおっしゃっていたパーキンソン病やアルツハイマー病などでも起こりうるということですから、潜在性の患者さんはものすごく多いのでしょうか。
髙倉
米国の調査報告等によると、米国内では100万人以上の患者さんがいるのではないかと報告されています。
池田
ものすごい数ですね。
髙倉
ただ、日本ではこの病名自体があまり浸透していないこともあって、どれぐらいの患者さんがいるかはまだ未知数ではないかと思われます。
池田
その状態にふさわしくない反応ということで、強制的に泣いたり、泣かされたり、何かそんな感じがしますが、どういう状態になっているのでしょうか。
髙倉
その病的な状態をご説明するのに、少し前置きとして、感情と情動の違いについてご説明したいと思います。感情と情動はとても似た言葉なのですが、感情は英語でfeeling、emotionなどといって、その人が何か物事に対して抱く主観的な気持ちということになります。ですが、それはあくまで主観的なものですので、外側から見てもあまりよくわからない。これに対して情動とは、怒りや恐れ、喜びや悲しみといった比較的急速に引き起こされた一時的で急激な感情の動きになります。情動調節障害の患者さんでは、本人の主観的な感情と情動が全く関係なく、情動が発作的に生じてしまう。そのような状態です。
池田
何かの神経回路が遮断されて、抑制系が下がっているか、あるいは刺激系が上がっているとか、そういうことが推定されているのでしょうか。
髙倉
ダマシオらのグループが報告した中で、笑いや泣きというのは実は大脳皮質から基底核、大脳脚、橋、小脳を介した、笑い泣きサーキットというものがあり、通常はここで自動的に調節されていると提唱されています。人が子どもから発達していく中で、こういう刺激にはこれぐらい笑う、こういう刺激にはこれぐらい泣くといったようなことが小脳内で学習されてプログラミングされています。その笑いや泣きの閾値が無意識に設定されているわけですが、情動調節障害の方ではこの閾値が下がってしまっているために、ちょっとした刺激で、もしくは全く刺激がなくても笑いや泣きが生じてしまうということで、小脳を抑制する機構がおそらく破綻しているのではないか。そのようなことが考えられています。
池田
生まれてからずっと築いてきたそのシステムが破綻してしまって、抑制がきかなくなっているという考えですね。
髙倉
はい。
池田
情動調節障害の治療というのはどのようにされるのでしょうか。
髙倉
たいへん興味深いことに、抗うつ薬の一つであります選択式セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が効果的という報告が多数あります。私の経験でも、SSRIを処方して内服開始後にこういった症状が改善されたという患者さんもいます。また、米国内ではこの情動調節障害に対する治療薬として、最近では咳どめ成分であるデキストロメトルファン臭化水素酸塩とキニジン硫酸塩の合剤の薬剤が販売されており、これが情動調節障害に対する治療薬としてFDAにも認可されています。
池田
何か不思議ですね。中枢の問題で起こっていることで咳どめの成分が効くというのは、どのような関係にあるのでしょうか。
髙倉
咳どめが効くのも本当に面白いと思ったのですが、実は笑いや泣きというのは何か緊張から解放されたときに生じる呼吸の変調の一つである、そうとらえることができます。つまり、何かきっかけがあってその緊張が取れたときに、ハッと一息つく。そのために呼気が勝手に自動的に起きている状態ということです。そうしますと、咳どめの成分というのは咳を抑える、呼吸を抑える薬ですので、それが効くというのは理解できるような気がします。
池田
一つの動きとしてとめていくということですね。それから、先生方のリハビリテーション科では言語聴覚療法もされているとうかがいましたがこれは実際どのように行われるのでしょうか。
髙倉
情動調節障害の患者さんは、人前で笑ってはいけない、泣いてはいけないと、心理的な意味でも非常にストレスを感じておられたり、どこかで笑ってしまうのではないかと、とても不安になっておられる方が多いです。ですので、薬での治療に合わせて、社会復帰に向けたいろいろな会話の練習や、ビジネスで必要な電話対応の練習などをシミュレーションとして行うことで、「ああ、きちんとできた」と自信を持てるような、ソーシャルスキルのトレーニングを行うことができます。そういった意味で言語聴覚療法、リハビリテーション治療がとても重要ではないかと考えています。
池田
患者さんのそういった不安を払拭するためにも言語聴覚療法を行うということですね。
髙倉
はい。
池田
最後に、この疾患はちょっと珍しい状態で社会的にも認知されていないと思います。先生から医療者や患者家族、あるいは社会に向けて何かメッセージをいただけますか。
髙倉
情動調節障害の患者さんは、人知れず非常に悩みを抱えているのではないかと思います。ご本人は、ちょっとしたきっかけで笑ったり泣いたりしてしまうので、込み合う電車、レストランとか映画館、もしくは仕事での会議、冠婚葬祭など、そういうところで症状が出ないかととても心配されていて、なかなか周囲の方にもこういう状況を理解してもらえないと、ストレスで引きこもりになってしまうこともあります。ですので、医療者であったり、それから患者ご家族の方にも、こういった症状があるということをまず知っていただくことで、これは治療することができるのだということにつながります。ぜひ医療現場の医師、看護師、それからリハビリテーションのスタッフの皆様にも、こういった情動調節障害について知っていただけるとよいのではないかと思っています。
池田
高齢社会がどんどん進んでいますので、この障害の方は多分潜在性も含めてたくさんいらっしゃると思います。患者さんが隠すことなく、患者家族あるいは社会で認知されると、治療法も含めて恩恵があるかと思いますので、先生には、どうぞ頑張っていただきたいと思います。ありがとうございました。