山内 これは時々我々も経験します。建前と実際がやや乖離しているなと思うことがしばしばありますが、一般的に医師はこのような場合、どのぐらい責任を負うのだろうかということが少し頭をよぎります。実際に法廷闘争になるような事例というのはあるのでしょうか。
松本 中毒者あるいは麻薬中毒者であるという診断の場合には、診断された方に人権の侵害、制限が加わるので、ありうると思います。しかしながら、中毒者ではないという診断の場合は人権の侵害はないので、そのリスクはないです。ただ、おそらく気にされているのは医師、保健師、看護師、調理師、警備員、このような職種と、一部で猟 銃の診断書などもあって、中毒者ではないと言ったけれども、どうするのだという話だと思います。猟銃の免許に関しての診断は、昨今は精神保健指定医か、2年以上精神科の臨床に従事したことがあるか、さもなければ、「過去にその人の心身の状況について診断したことのある」かかりつけ医となっています。ですから、一般の開業医は全くの初診で、その人の診断を迫られたりはしません。あとは医療者や調理師、警備員ということですが、本人の就労の機会を奪うのには相当明確な根拠が必要なため、中毒者ではない場合にはそんなに難しく考えなくてもいいのではないかなと思います。
山内 今お話がありましたけれども、一つは猟銃に関して、私は昔、比較的よく書いていた覚えがあるのですが、これは最近法改正があったのですか。
松本 かかりつけ医の場合は、「過去に診療したことのある人」の診断書は書けますが、見ず知らずの人について初診で診断書を求められることはないです。ですから一般の医師はそれほど気にされなくてもいいのかなと思っています。
山内 お話のはじめにありましたが、中毒者であるという診断を書いてしまうと、どういった人権侵害になるのでしょうか。
松本 麻薬中毒者となった場合には、自治体の麻薬中毒者台帳というところにリスト入りされて、例えば自治体の薬務課の職員からの定期的な面接とか、厚生局の麻薬取締官からの年1回の面接などがなされるので一定の人権侵害になってくるかと思います。そこは慎重にする必要があるし、精神科の中でも専門性の高い医師が診断を下すべきだと思います。
山内 「中毒」という言葉ですが、中毒といえば中毒なのかもしれませんが、いかがでしょうか。
松本 これは中毒ではなくて、中毒者なのです。「者」がついているので医学的な概念ではないのです。皆さん、中毒という言葉だと急性中毒、酩酊している状態を想定されるかと思うのですが、文章を見てみるとそうではないのです。どうやら依存症に近いような状態を意味しているのだろうなと思うのですが、今は依存症のことを中毒とは言わなくなっています。そういった意味で、中毒者というのは医学的な概念ではなく、あくまでも行政的な、法的な概念であって、なかなか行政文書や通達を見ても明確な定義がありません。ということは、診断にあたって医師の裁量がかなり許容されているということです。
山内 極端に言えば、法的根拠もしっかりしたものはあまりないと考えてよいのですね。
松本 そうです。
山内 そうはいっても、何かちょっとチェックしたいと思われる医師もいるかもしれません。何をチェックしたらいいのかということですが、まず客観的な検査をやるべきかどうか、このあたり、いかがでしょうか。
松本 もしもそういうことがいつでもできる施設であるならば、行うのもひとつの方法だろうと思っています。ただし、血液検査ではなかなかわかりません。内臓障害も特異的ではないですし、各薬物の成分を調べるとなると、かなり高価な外注の検査になります。簡易尿検査キットがあり、判明する薬 物の種類によって、安いものでは1回分700円、高いものでは4,000円ぐらいになります。ただ、けっこう偽陽性が多く、品質保証の期限というか、使える期間が短いので、いつも新たなものを取りそろえるということになると、どの開業医も常時これを置いておくことは難しいような気がします。ですから、やれるなら尿検査です。でも、検査キットがなければ本人に対する問診にかえるということもありかと思います。
山内 偽陽性まであるとなると、先ほどの人権侵害の問題を考えると、あまり安易にやらないほうがいいかなという感じがありますね。
松本 そんな気がしますね。
山内 そうしますと、問診で特にチェックしたほうがいい事項といったものはあるのでしょうか。
松本 まずアルコールに関しては、毎日どのくらいお酒を飲むのか、お酒で仕事に支障が出たりしていないのかを聞くこと。それから薬物に関しては、こういうものを使ったことがありますかという質問になると思います。ただ、日本は薬物に関してかなり厳しい政策を取っているので、使ったことがある人が正直に言うかどうか、なかなか悩ましいのですが、可能であればそれをきちんと聞いたということを診療録に残しておくことが必要だと思います。
山内 仮に虚偽の申告をされたとしても、それが虚偽であるということを証明する必要性はないわけですから、聞いたとおりということになりますね。
松本 そうですね。
山内 ここで少し引っかかってくるのは、例えば相手がやや危ない方面の方で、こういった方が「書いてくれ」と言ってくる場合もあるかと思います。これはどう対応したらよいのでしょうか。
松本 基本的に医師は診断書を書くことを求められた場合には正当な理由なくして断ることはできないのです。ただ、脅迫とか、そういうプレッシャーをかけてきた場合には正当な理由になろうかと思います。ただ、そこでもめて大騒ぎになると、なかなか開業医では難しい場合もあるかと思うのです。ですから、本人に「こういう覚醒剤とか最近使ったことがありますか、逮捕されたことがありますか」と聞いて、本人が「ない」と言ったならば、ないと言ったということで、本人のニーズに沿いつつ、自分でも表面上そう思ったということであれば、そのような診断書を書くというのもひとつの方法ではないかなと思います。
山内 多少脅しが入ったような場合でも、一応相手に確認を求めて聞いてみて、そういうことはないと言われたら、それをカルテに書いて、万が一それが実は相手がうそをついていた場合でも医師のほうに責任は来ないのですね。
松本 私は依存症を専門としていますが、正直申し上げて、いつもその辺では患者さんにだまされています。専門家もだまされると思ってください。
山内 要するに、間違ったのではなくて、わからなかったということですね。
松本 はい。
山内 先生は依存症の大家でいらっしゃいますので、最近のトピックスについてうかがいたいと思います。
松本 最近の特徴としては、つかまらない薬物、取り締まれない薬物の依存症の方が全体として増えています。つかまらない薬物としては大きく2つあります。1つは睡眠薬や抗不安薬、いわゆるベンゾジアゼピンといわれているもの。2つ目が特に今回、強調しておきたいことなのですが、市販薬なのです。多いのは咳どめ薬、風邪薬ですが、これによる10代の若い子たちの依存症が非常に多くなっていて、最近 目立つ特徴だと思います。
山内 そういった市販薬を大量にのむということですか。
松本 そうですね。例えば咳どめ薬なら1瓶に84錠入っているのですが、1日60錠とか84錠のんでしまう。それが連日という感じになってくるのです。
山内 特に市販薬はインターネットでも買えるところもありますから、余計に乱用が進んでいるのでしょうか。
松本 2014年にインターネットの販売が規制緩和され、ドラッグストアの数は駅前などではコンビニエンスストアよりも多くなっています。こういったアクセスが高まることのいい部分もあるのですが、少しネガティブな部分がないわけでもないということですね。
山内 一般的には咳どめが多いのですか。
松本 咳どめ薬が多いのですが、どの薬局でも咳どめ薬の販売個数は1人1箱までと決めているのです。ただ、同じ成分が入った風邪薬があり、それだと幾らでも買えるのです。そちらのほうにみんなシフトしていくのですが、その場合にはアセトアミノフェンがかなり入っていて、肝機能障害が深刻な問題になっています。その意味で健康被害がちょっと目立っています。
山内 一方で、大麻などはかなり各国、規制が緩められてきていますが、そういった流れとの兼ね合いはいかがなのでしょうか。
松本 実は日本では意外にも、今まで使用罪がなかった大麻に関して、使用罪を作る動きがかなり濃厚になっています。その理由の一つとしては、大麻由来成分の難治性抗てんかん薬を承認する一方で使用罪を作ることでバランスを取ろうとしているからです。将来コロナ禍が明けて若者たちが海外に留学した後の状況がちょっと心配ですね。
山内 実際の医学的な面から見た危険度から言いますと、大麻と比べても、むしろ先ほどの市販薬のほうが、現実の日本では大きいかもしれないということですね。
松本 ですから、刑罰と健康被害とのバランスに関して、どこかの段階でもう一回法制度自体を見直す必要があるのではないかと私は考えています。
山内 従来あまり触れないまま来てしまったというところもありますので、今後もう一度みんなで考えることが必要になってくると思いますね。
松本 ぜひ多くの方にこの問題に関心を持ってもらいたいですね。
山内 ありがとうございました。
就職時の薬物中毒診断
国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部長
松本 俊彦 先生
(聞き手山内 俊一先生)
警備員などの就職時に診断書を求められることがあります。「アルコール・ 麻薬・大麻・あへんまたは覚醒剤の中毒者」に該当しないことを診断する必要がありますが、一般的にどの程度の精度が求められるものかご教示ください。
富山県開業医