ドクターサロン

 池脇 HIF-PH阻害薬は2019年に日本でも発売されました。以前、腎臓内科医に説明いただいたときの、「この薬は非常に画期的で、透析を含む腎不全の患者さんに大きな恩恵をもたらすポテンシャルがある。だからこそ大事に育てていこう」というメッセージが印象に残っています。発売から3年経った今の現状を効果、副作用も含めて、長谷川先生からお聞きしたいと思います。
 まず、HIF-PH阻害薬はどういう機序の薬なのでしょうか。
 長谷川 健康な腎臓は貧血によって酸素の供給が低下したときに、骨髄に造血を促すエリスロポエチンというホルモンを産生する働きを持っているのですが、この働きを制御しているのがHIFと呼ばれている転写因子です。このHIFがまたPHDという酵素によって負の調節を受けているのですが、腎臓が悪くなるとHIFの応答性が低下して、貧血にもかかわらずエリスロポエチンが作れなくなる腎性貧血になるのは、低酸素にもかかわらずPHDがHIFを抑制し続けてしまうためといわれています。この薬はPHDの働きを遮断して、HIFによるエリスロポエチン産生刺激を回復する薬です。
 池脇 従来は例えば透析、腎不全の方はエリスロポエチンを外因性の注射として補充して貧血を治療されていたのに比べると、これは内因性にエリスロポエチンの産生を増やす薬ということですね。
 長谷川 おっしゃるとおりで、腎障害のときに失われた腎臓の機能を回復するという意味では、より根本的なアプローチに近いだろうということと、やはり何といっても経口の薬剤だという点は大きなアドバンテージかと思います。
 池脇 薬というのはどこかに作用してそれによる反応が1つだけであれば比較的どんな効果なのかを予想しやすいのですが、HIFという転写因子となると、いろいろなところに影響するわけで、そういった観点から同時にエリスロポエチン以外の影響も危惧されているのですね。
 長谷川 そうですね。HIFは低酸素環境への生体応答の最上流を担うという意味で、マスター転写因子と呼ばれています。貧血を改善する、造血を促すのも低酸素を改善する一つの方法ですが、例えば血流が悪くなる動脈硬化も同じく低酸素刺激になるので、新たに血管を作ってあげるというのも低酸素の環境から回復する一つの手段になります。造血以外にも、血管新生や炎症など様々なことに関する800以上といわれる遺伝子の調節を行うといわれているので、当然生体にとっては若干ネガティブな有害事象も予想されます。
 池脇 貧血が回復するのはいいけれども、同時に血管新生が起こっては困るという病態、例えばがんや糖尿病性網膜症に対しての影響を懸念されながら使い始めたという背景があるのですね。
 長谷川 そうですね。
 池脇 腎臓内科の医師は非常に慎重に症例を選んで、そのようなリスクがある患者さんに関してはきちんと評価したうえで使われて数年たちましたが、この数年間のデータの蓄積というのはどういう状況でしょうか。
 長谷川 当初は透析の患者さんに限定して使うことになっていましたので、エリスロポエチンを使ったときとの比較が盛んに検討されました。我々が思った以上に反応がすごく早く、かつ、けっこうな頻度でオーバーシュートしますので、使い始めてから減量することもあって、最初はlow doseからいきましょうという製薬メーカーからのリコメンデーションのとおりだという印象を持っています。ここ1年ちょっとの間、ようやく保存期の患者さんにも使えるようになって、この薬本来の進行性腎障害の抑制という効果をこれから皆で検証していくというフェーズにあるかと思います。
 池脇 先ほどの血管新生が起こってしまってはよくない病態ということに関して、例えばがんが増える、その進 行が早まる、あるいは糖尿病性網膜症に対する悪影響などのデータはどういう状況なのでしょうか。
 長谷川 HIFが調節している遺伝子に関わるような、ほぼすべての事柄が理論的には起こりうるわけですので、そういう一つ一つの分子あるいは事象に関する基礎的なデータはかなり出てきています。ただ、言うまでもなく、vitroでもvivoでも動物実験はかなり極端な条件設定で行われますので、それが生体、人間に対して本当にそういうことがあるのかという点に関しては、具体的なエビデンスは極めて限定的だろうと思います。
 池脇 少なくとも、HIF-PH阻害薬によってがんや網膜症などに対しての悪影響については今のところはまだはっきりしたものはないという理解でよいですか。
 長谷川 臨床データですので、因果関係をいうことはなかなか難しいです。ただ、糖尿病の網膜症や黄斑変性症などを持っている患者さんにこの薬を使って、もし出血などが起きたときに、その関連を否定するだけの根拠がないので、やはりそこは少し慎重にいったほうがいいでしょう。
 池脇 血管新生、いわゆる血管内皮細胞増殖因子(VEGF)による質問ですが、この副作用、そして閉塞性動脈硬化症(ASO)に対しての影響はいかがでしょうか。
 長谷川 VEGFに限らず、PDGFあるいはbFGFなど血管内皮を増殖させるような、血管新生に働くような分子の発現を増加させますので、このような血栓塞栓をすでにお持ちのような患者さんに使ったときに、血管の内皮に影響を与えて血栓塞栓をさらに悪化させる、あるいは、ほかの発症リスクを高めるという点が懸念されます。したがって、血栓塞栓と関連した疾患をお持ちの患者さんには適応を慎重に判断し、使用後の再評価をしっかり行う、などが推奨されています。
 池脇 今回の場合は医師が理論上考えられるいろいろな悪影響、副作用をしっかりと頭に入れて、適応に関してリスクをお持ちの患者さんには「さあ、どうしようか」といううえでお使いになっているので、ASOに対する悪影響が今のところはっきりしたものは出ていないのは幸いといえますが、だからといって大丈夫ともいえない。そんな状況なのでしょうか。
 長谷川 腎臓内科医としては、非常に期待度の高い、診療のあり方を変える可能性を持っている薬剤ですので、ぜひ積極的に使っていきたい。一方で、我々がおそらく想定しないような有害事象が起こりうるので、予想できるものについては慎重に対応し、かつ積極的に使っていきたいという、そういったスタンスです。
 池脇 腎臓内科医がそういうスタンスでこの薬を有効に使っていく中で、いろいろな副作用に関してももう少ししっかりしたデータが出てきて、より使いやすくなっていくということを期待する一方で、腎臓内科の非専門医に裾野が広がっていくというのは、先生方としてはどう思われますか。
 長谷川 腎臓専門医の数は限られていますから、多くの患者さんをご覧になっている非腎臓専門医も積極的に使っていただきたいと思います。ただ、お使いになる前に眼科医に眼底を診ていただくとか、あるいは悪性腫瘍に関する大まかなスクリーニング等もお考えいただければと思います。さらに心エコーも一応やっておいたほうがいいだろうといわれていますので、その辺をクリアしたうえでぜひ積極的にお考えいただきたいと思います。
 池脇 確かに日本腎臓学会も2020年に適正使用に関するリコメンデーションを出されていますので、一読されたうえで使うということでよいでしょうか。
 長谷川 そうですね。ただ、リコメンデーションをストレートに読むと、こんなにいろいろな有害なことが起こるのだったらやめておこうかとなってしまわないかが少し心配です。お話しした事柄を念頭に置きつつ、また必要なチェックをし、しかし積極的に使っていきたいというのが私としては正直な気持ちです。
 池脇 今後とも大事に育ててください。
 長谷川 承知いたしました。
 池脇 どうもありがとうございました。