「クラシック音楽」を趣味とされる読者の方も多くいると思いますが、この「クラシック音楽」は英語で何と表現するのでしょうか?
「え? classic musicじゃないの?」と思われた方が多いと思いますが、「クラシック音楽」は英語ではclassical musicと呼ばれます。classという英語は日本では「学級」というイメージが定着していますが、英語のclassには「ある特徴を共有する集合」というイメージがあり、使われる状況によって「学級」「階級」「気品」といった意味になります。
形容詞のclassicには「その集合に特徴的な」というイメージがあり、使われる状況によって「典型的な」「時代に流されずに変わらない」という意味になります。ですから「時代に流されずに、車としての普遍的な価値を失わない車」という意味の「クラシックカー」は英語でもそのままclassic carとなります。またclassicは名詞としても使われ、その場合には「高い品質を持つもの」というイメージとなります。ですから日本でも有名となったWorld Baseball Classic(WBC)という野球の国際大会は「古くからある大会」ではなく、「最高峰の大会」という意味になるのです。
これに対してclassicalには「その特徴を想起させるほど、その社会で伝統になっている」というイメージがあり、「伝統的な」や「古典的な」といった意味になります。ですから「ある特定の時代に作られた古典的な音楽」という意味の「クラシック音楽」は、英語ではclassic musicではなくclassical musicとなるのです。同じように「クラシックバレエ」も英語ではclassical balletとなります。
ではなぜ本来classical musicをカタカタにした「クラシカル音楽」ではなく、「クラシック音楽」というカタカナが普及しているのでしょう。その本当の原因は私にはわかりませんが、個人的には「クラシック」というカタカナ表記語が英語のclassicとは独立して「古いもの」というイメージだけを持って普及した結果だと考えています。
このように日本では独自に発達した「カタカナ表記語」というものが数多く存在します。もちろんそれを日本語の中だけで使っている場合には全く問題ありません。しかしそれらをいざ英語で表現しようとすると、「クラシック音楽」の場合と同じように「それは正しい英語ではない」という場合があるのです。
では幾つかそんなカタカナ表記語を見ていきましょう。
野球用語の「ストレート」「フォアボール」「デッドボール」などが英語ではそれぞれfast ball, walk, and hit by pitchとなることは有名ですが、サッカー用語の「ハンド」「シュート」「ヘディング」も英語でそのままhand, shoot, and headingとなると考えている方が多いと思います。実際の英語はこれらとは全て異なり、それぞれhandball, shot/strike, and headerとなります。
また国名の英語も、日本のカタカナ表記語とは大きく異なるものが数多く存在します。これは日本のカタカナ表記語が現地の発音にできるだけ忠実になるように考案されているためなのですが、それが日本人にとって英語表現をわかりにくくする要因となっています。ニュースで話題となっている「ウクライナ」や「グルジア」などは英語のニュースでも触れる機会が多いため、それぞれUkraine(「ユークレィン」のように発音)やGeorgia(「ジョォジィア」のように発音)という英語名であることはよく知られていますが、「モンゴル」や「フィリピン」といった日本近隣の国の英語名をそれぞれMongoliaとthe Philippinesのように正しく表現できる日本人は意外と少ないという印象です。
「ナルシスト」は日本語として定着していて、これをそのまま英語で発音すれば正しい英語表現になると思われがちですが、英語ではnarcissist「ナルシィシィスト」となります。なぜ最初のカタカナ表記語を「ナルシシスト」としなかったのか、疑問が残るところです。またカタカナ表記語の「フリー」は「自由」という意味で定着しているため、smoke-free zoneのことを「タバコが自由に吸える場所」と勘違いする日本人が多くいます。もちろんこれは「タバコの煙から解き放たれている」というイメージですので、「禁煙区域」という全く逆の意味になります。
そしてこういったカタカナ表記語は医療現場にも数多く存在します。
骨折した際の外固定に使用される「ギプス」ですが、これはドイツ語由来の表現で、英語ではcastとなります。同様に外固定に使用される「シーネ」もドイツ語由来の表現ですので、英語で表現する場合にはsplintと言わないと通じません。
「内視鏡」のことを「ファイバースコープ」というカタカナで表現する場合がありますが、英語圏ではこれをendoscopeと表現します。こう書くと「実際の英語医学論文でもfiberscopeと表現しています」という反論もあると思うのですが、そういった論文のほとんどは日本や他の東アジア圏の医師によって書かれています。内視鏡を専門にしている海外の医師にはfiberscopeと表現しても通用するかもしれませんが、専門外の診療科の医師にfiberscopeと表現しても“What’s that? I’ve never heard of it.”と言われて終わりです。ですから「上部消化管内視鏡検査」ならupper gastrointestinal(GI)endoscopyやesophagogastroduodenoscopy(EGD)と、そして「下部消化管内視鏡検査」ならcolonoscopyといった英語表現を使う必要があります。
「イレウス」も日本で独自に進化したカタカナ表記語と言えます。日本では「腸閉塞」として使われていますが、英語のileusは「麻痺性腸閉塞」という意味で使われます。ですから「腸閉塞」を英語で表現する場合には、bowel obstructionという表現を使う必要があるのです。
日本語においてカタカナ表記語には極めて重要な役割があります。英語で生まれた専門用語を日本語の文脈で使えるカタカナ表記語は、日本語を豊かにする重要な要素とも言えます。しかしこういったカタカナ表記語には2つの重大な副作用があります。
まずは「発音」の問題です。カタカナ表記語に慣れてしまうと、latexを「ラテックス」、ibuprofenを「イブプロフェン」、gynecologyを「ギネコロジー」のように英語でも発音してしまい、英語本来の「レィテックス」「アィビュプロフェン」「ガィネコロジィ」といった正しい発音ができなくなってしまいます。また英語のrash/rush/lash/ lushは全て異なる発音で意味も異なるのですが、カタカナ表記語では全て「ラッシュ」となり、区別がつかなくなってしまいます。
2つ目の問題が「日本語学修者にとって理解するのが極めて困難」というものです。「評価する」という表現ならば理解できる場合でも、「アセスメントする」という表現を使われると日本語を学んでいる人には理解が極めて難しいのです。
日本の医療現場の国際化に伴い、患者さんだけでなく医療者としても日本語を母国語としない方たちが増えています。国際化する日本の医療現場で最も優先されるべきは、英語よりもまず「やさしい日本語」を使うということです。英語が堪能な河野太郎議員が「クラスター」や「ロックダウン」といったカタカナ表記語の多用に苦言を呈したように、外国語が得意な人は母国語の使い方も一流です。外国人の患者さんや医療者から「あなたの日本語はわかりやすいですね」と言われることこそが、英語学修においてもclassy(「気品ある」)な行動と言えるのかもしれません。