ドクターサロン

 私が大好きな小説に英国人作家Lee Child原作のJack Reacherシリーズがあります。元米陸軍憲兵隊捜査官のJack Reacherが「流れ者」として全米を放浪しながら、全米各地で悪事に手を染める悪者を懲らしめるというストーリーのシリーズで、日本の「寅さん」と「水戸黄門」の面白いところを掛け合わせたような人気小説です。一度Tom Cruise主演で映画化もされましたが、原作者のLee Childが原作通りの「巨漢」のJack Reacherで映像化したいと望み、2022年2月からキャストを一新してドラマ化されました。 その第1話の中で、無実の罪で刑務所に収監されたReacherが複数の囚人にバスルームで襲われ、その囚人たちを全員返り討ちにするというシーンがありました。そこでReacherは先制攻撃として「頭突き」を披露していましたが、ここで面白いのがReacherが襲撃されるバスルーム(トイレ)に行く前に、“I'm gonna hit the head.”と言っているところです。英語がわかる視聴者はこの後の「頭突き」のシーンを見て「ニヤリ」とするのですが、皆さんはこの面白さがわかるでしょうか? 実はこの“I’m gonna hit the head.”は「トイレに行ってくる」という意味の慣用表現なのです。これは昔の船ではトイレが「船首」に位置していたことに由来する表現で、今でも「ちょっと用を足してくる」というニュアンスで使われます。ドラマ内でReacherはこう言ってトイレに行った後、そこで文字通り悪漢達に対してhit the headも行ったので、この言葉遊びがわかる視聴者はそこで「ニヤリ」とするのです。
 日本人でこのような言葉遊びまで理解できる人はおそらくほとんどいないでしょうし、それを理解できるまでの英語力が日本人医師に必要だとは全く思いません。医師にとって必要な英語力」とはあくまでも「医師としてのコミュニケーションを英語でもできる能力」であり、具体的には「医療面接」「身体診察」「患者教育」「症例報告」「論文読解」「論文執筆」「口頭発表」といった医師としてのコミュニケーションを英語でもできるようにすることです。しかしこうした医師としてのコミュニケーションの場面だけでなく、様々な場面で使われる「一般英語」を学ぶことが、結果として「医師としてのコミュニケーションを英語でもできる能力」の獲得につながります。
 日本語で患者さんには「呼吸困難」ではなく「息切れ」という表現を使うのと同じように、英語でも患者さんに質問する際にはdyspneaではなくshortness of breathという表現を使います。また患者さんも「便秘constipationの場合には“I’ve been clogged up.”と表現したり、「下痢diarrheaの場合にも“I have a bad case of the runs.”と表現する場合もあります。
 日本人医師にとっては、こういった一般的な英語表現の方が専門的な英語表現よりも学ぶことが難しいと言えます。しかし実際に英語を使う場面では一般的な英語表現も必要になるため、難しいとは言っても一般的な英語表現を学ぶことも重要なのです。
 そのため私が教えている国際医療福祉大学医学部では、専門的な医学英語はもちろん、様々な話題を題材にした「一般英語」も重要視して教育しています。先日も授業の中で、日本語の「ヤンキー」や「オタク」を英語でどのように表現するかを学生さんたちと議論しました。読者の皆さんはこれらを英語でどのように表現しますか?
 英語のYankeeは「誰に使うか」によって意味が変化する表現です。米国人以外の人に使う場合にはYankeeは「米国人」となり、米国人に使う場合には「ニューヨーク州・市の人」となります。そしてニューヨーク市民に使う場合には「ヤンキース所属のメジャーリーガー」という意味になります。日本語の「ヤンキー」に近い英語表現としても様々なものがあり、「教養がない人」というニュアンスではshitheadが、「肉体労働者」というニュアンスでは首元が日焼けしているという意味のredneckが、「治安の悪い地域に住んでいる人」というニュアンスではhoodlumが、それぞれ異なったニュアンスで使われます。日本人が使いがちなgangという表現は「犯罪組織の一員」という意味で、日本語の「ヤンキー」とは異なります。また地域や国によっても異なる呼び名があり、米国のヒスパニック系の「ヤンキー」はcholo、英国ではchav、そして豪州ではboganとそれぞれ呼び名が異なります。
 日本語の「オタク」に対応する英語表現としてはnerdgeekがありますが、前者はコンピュータや数学など「一般社会でも役に立つ知識に詳しいオタク」というニュアンスがあるのに対し、後者は「一般社会ではあまり役に立たない知識に詳しいオタク」というニュアンスがあります。また英語にもotakuという表現がありますが、これは日本のanimeやmangaなどを偏愛する人というイメージの表現です。ちなみに日本ではDisneyのアニメーション映画も「アニメ」と呼びますが、英語のanimeには「日本のアニメーション」という意味しかなく、Disney moviesなどはanimeとは呼ばれません。
 日本語の「トイレはどこですか?」も米国と英国では表現が異なります。米国ではtoiletは「便器」そのものを指すので、米国で“Where is the toilet?”と尋ねると“It’s in the bath room!”と怪訝な顔をされます。したがって米国では“Where is the bath room/restroom?”のように尋ねるのが一般的ですが、英国では日本と同様に“Where is the toilet?”と尋ねます。「排尿する」という意味では、専門的な表現でもあるurinateは英語圏の患者さんにも通じますが、患者さんがよく使う表現としてpisspeeというものも知っておく必要があり、どちらも動詞・名詞の両方で使われます。日本ではこのpeeのことを「子供が使う表現」と思っている方も多いようですが、実際には大人も普通に使う表現です。これとは別に子供が使う表現としてはweeweeweeというものがあります。
 このような一般的な英語表現を身につけることは、日本人医師にとっては難しいのは事実です。しかし医学英語も英語の一部に過ぎません。「医師としてのコミュニケーションを英語でもできる能力」を獲得するためにも、様々な話題に興味を持って、一般英語の能力を高めることを日々意識していただけたらと思います。"