ドクターサロン

池田

長谷川先生、インフルエンザの経鼻ワクチンの開発はどのくらいの段階にあるのでしょうか。

長谷川

これは不活化の経鼻ワクチンとして、現在、メーカーでは臨床治験の第Ⅲ相が終了しており、これから承認申請という段階まで来ています。

池田

近い将来、使えるようになるのですね。

長谷川

そうですね。承認されれば、日本国内で使えるようになると思います。

池田

今は皮下注射、あるいは筋注でやっていますが、これはどういったワクチンなのでしょうか。

長谷川

そもそも経鼻ワクチンの開発は、現在の注射で行われているワクチンよりも、より効果の高いワクチンを目指して、次世代ワクチンとして開発しています。現在の皮下注射で行われているワクチンは、血液の中にIgG抗体という中和抗体を誘導して、それで防ぐものですが、感染そのものはなかなか防ぎづらいのです。インフルエンザウイルスが感染する場は上気道の上皮細胞という表面の細胞なのですが、そこには中和抗体が届きづらく、感染してしまう。ただ、重症化を予防したり、感染しても発症を予防したりする効果が見込まれているのです。この経鼻ワクチンはそこを克服するために、感染そのものを阻止できるようなワクチンを目指しています。

池田

IgGではなくて、ほかの分泌型抗体を誘導するのでしょうか。

長谷川

インフルエンザウイルスが感染する場所が上気道の粘膜の表面なので、我々の免疫の中には自然に、ウイルスに感染したときにも誘導されるのですが、分泌型のIgA抗体といって、積極的に粘膜の外に出てきて、粘液の中に分布する抗体があります。ワクチンによって分泌型のIgA抗体を誘導することができれば、まさしく感染の場の、フロントラインで感染そのものを阻止することが可能であろうと考えています。

池田

IgA抗体を誘導すると、敵が来たときにその最前線で戦ってくれるということですね。

長谷川

そういうことです。入り口のところですね。血液の中のIgG抗体、中和抗体というのは、敵が家の中に入ってきた後にそれをやっつける。IgA抗体は門の前で立っていて入ってくるのを阻止するイメージです。

池田

理想的ですね。入ってきて攻撃されるよりは、門のところで止めてしまえば、感染しなくなるのですね。

長谷川

そういうことです。

池田

これを噴霧したとき、どのような感じでワクチンが体の中に入っていくのでしょうか。

長谷川

霧吹き状のものを、鼻腔の中、特に鼻腔の奧に到達するように噴霧します。そうしますと、粘膜には抗原を取り込むM細胞といわれる特殊な細胞があり、噴霧された抗原を積極的に自分から取り込んで、その直下の抗原提示細胞である樹状細胞などに抗原を渡して、そこで粘膜のリンパ装置に持ち帰ります。そこで作られるのがIgA産生B細胞で、それが増えて全身の粘膜に再分布するという特徴があります。そうすることによって、鼻の粘膜だけではなく、全身の粘膜で同じIgA抗体が分泌されて体全体の粘膜を守るというシステムになっています。

池田

腸管まで行くのですね。

長谷川

そうですね。ですから、腸管感染症に対しても将来的には応用が可能かと考えています。

池田

それはすごいですね。要するに、すべての門に哨兵を立てる感じですね。

長谷川

そうですね。本来我々の体が持っている免疫で、実際に感染した場合にはそういった免疫が誘導されているので、それを行える、より自然に近いような状態のワクチンを目指しています。

池田

IgAとはどのようなものなのでしょうか。

長谷川

血液の中にもIgA抗体はあるにはあります。分泌型のIgA抗体は、教科書的には二量体といって、抗体の分子が2つ、tail to tailで結合したような、Y字型の抗体が2つくっついたようなものです。最近の我々の研究で二量体レベルではなくて、三量体や四量体という多量体を形成したような分泌型のIgAが存在していることがわかり、そういった多量体のほうがより効果が高い、ウイルスに対する中和効果が高いということがわかってきました。

池田

最近の新型コロナウイルスワクチンでも問題になっていますが、インフルエンザも変異株が多いですね。それに関してIgAはどういう反応をするのでしょうか。

長谷川

インフルエンザウイルスは毎年、非常に変異を繰り返すウイルスで、ワクチンそのものも、前の年に、次の年にどういうものがはやるのかと予想して作らなければならない状況です。予想が外れてワクチンと流行株が違ったり、抗原性に変化があると効かなくなってしまうことがあります。

IgA抗体は、構造上、二量体や多量体を取っている。その特徴のために変異ウイルスに対しても効果が高いことが知られています。ですから、注射によって誘導された免疫よりも、かかった後に誘導される免疫のほうが変異株に対して強いことが、もともと知られていて、その原因を突き詰めていくとIgAだったということなのです。

池田

多少の変異株もこれでやっつけられるのですね。

長谷川

完全にというわけではないですが、IgGに比べると変異株に対して中和能力が高いことがわかっています。

池田

このワクチンはどのようなものなのでしょうか。

長谷川

欧米では病原性をなくしたような弱毒生ウイルスワクチンというかたちで、インフルエンザの経鼻ワクチンはすでに承認されて使われていますが、我々が研究しているのは不活化ワクチンです。不活化ワクチンによって粘膜の免疫であるIgA抗体、血中のIgG抗体も誘導されますが、それに加えて粘膜のIgA抗体が誘導できるようにしたものです。

池田

投与方法はどのような感じなのですか。

長谷川

不活化のワクチンが、粘膜に付着するように粘稠剤を混ぜて粘性を持たせたもので、それを霧吹きのようなものでデバイスして鼻腔内に噴霧します。ですからイメージとしては、花粉症の点鼻薬ですね。

池田

シュッとやるやつですね。

長谷川

アレルギーの花粉症の薬を右と左に1回ずつ接種するようなイメージで、痛みも伴いませんし、副反応も今まで臨床研究などでは特に目立つものは認められませんでした。負担が少なく、痛くなく、より効果の高い免疫を誘導することから、我々は期待しています。

池田

すごく簡便ですね。

長谷川

はい。

池田

高齢者もですが、小児に使いやすそうですね。

長谷川

そうですね。注射が嫌いなお子さんが多いので、鼻にスプレーするだけというと抵抗感はすごく少なくなると思います。

池田

治験の対象の年齢層は、やはり成人なのでしょうか。

長谷川

行われた治験は成人を対象としたものだったのですが、現在、その年齢を下げるような治験も追加で行っているところです。

池田

今は何歳ぐらいまで年齢を下げて治験されているのでしょうか。

長谷川

12歳まで試されているところです。でも、もっと低い層も今後必要になってくるかと思います。

池田

子どもさんでも、シュッだけだったら嫌がらないから、それはいいですよね。これは毎年やるのでしょうか。

長谷川

臨床研究などでは、効果のあるIgA抗体を誘導するのに2回接種を行ってきました。おそらく今のワクチンと同様に、各シーズンの前に接種しておくことが重要かと思います。回数に関しては、最初は2回必要かもしれませんが、その後は1回で済む可能性もありますし、それは今後さらに研究していく必要があろうと思います。ただ、IgAはずっと分泌され続けるわけではなくて、2~3カ月たつと下がってくるものなので、年末などのシーズン前に打っておくことによって、ちょうど冬場のシーズンを防ぐことができるようになるかと考えています。

池田

ちょっと話は変わるのですが、最近の新型コロナウイルスに対するmRNAワクチンはすごく効果がいいですが、あれもどちらかというと誘導されるのはIgGですよね。

長谷川

そうです。注射型のワクチンによって誘導されるものはIgG抗体が主になります。

池田

日本ではコロナウイルスを培養して増やすことに対して反対する人たちが多いのですが、もしそれが可能になれば、また経鼻ワクチンはできるのでしょうか。

長谷川

国内で開発されているコロナのワクチンは、それこそ不活化ワクチンであったり、組み換え蛋白ワクチンであったりします。そういったものを用いれば経鼻ワクチンに応用することは可能で、我々もそれを視野に入れて、今研究しているところです。というのは、どうしても急性呼吸器感染症の場合にはワクチンを打っていてもかかってしまうことがありますので、入り口で抑える。そのために粘膜免疫、IgAを誘導するのは非常に重要なことだと考えられていて、世界中で経鼻ワクチンが注目されつつあります。

池田

今、新型コロナウイルスワクチンも何回打つのか、などやっていますね。IgG抗体が下がってきたら打とうと。ちょっとストーリーがずれてきているような気がしてしょうがないですね。

長谷川

当初、どれぐらいの持続期間があるか、また変異株に対してどうかという情報がわからない状態でしたので、今回はとにかく早く、数カ月で実用化にたどり着けたという点ですごいと思います。

池田

中国がそうだと思いますが、本来でしたらインフルエンザのワクチン同様に不活化しておいて、それから経鼻で投与することが理想的ですね。ありがとうございました。