山内
多発性硬化症は非常に有名な病気ですが、非専門医にとっては、患者さんがいらした場合でも、病名想起すらできないこともあります。一つには頻度上の問題があるのでしょうか。日本人には少ないという説もあるようですが、いかがですか。
中原
多発性硬化症はまだまだ少なめな病気であることは事実だと思いますが、昨今、患者さんの数が増えていて、最新の調査では日本全国で約2万人と推計されています。約2万人といいますと、パーキンソン病で何十万人ですから、まだまだ少ないともいえますが、少なくとも神経内科ではそんなに珍しくなくなってきていると思います。
山内
だんだん増加してきているのでしょうか。
中原
今、だいたい10年で倍になる速度で増えていますので、今後もそのトレンドが続くのではないかと思われています。
山内
理由としては、画像診断などの進歩といったものも挙げられるとお考えですか。
中原
ご指摘のとおりです。ただ、ここ10年、特別MRIをより多く撮るようになったからではなかろうかとも推測されています。また世界的にも患者数が増加しており、何が原因なのかまださっぱりわからないのです。腸内細菌が変わったのではないか、食事の影響ではないかなどいろいろな仮説がなされているところですが、残念ながらうまく説明できるものはまだ見つかっていません。
山内
多発性硬化症という病名ですが、昔から私は、いったいどこが硬くなるのだろうと思っていました。この病名の由来は何でしょうか。
中原
多発性硬化症という病名自体は病理学的なところに由来があり、1868年、フランスの神経病理学のシャルコー先生が、実際に患者さんが亡くなられた後の脳を触って「硬い」と言ったことに端を発します。決してご存命の患者さんの何かが硬くなって感じられるわけではありません。脳を触ることがなければあまり関係のない用語なのですが、一応そこに由来しています。
山内
脳の硬くなっているところではどういった病変が見られるのですか。
中原
脳の硬くなっているところをもう少しひもときますと、硬くなっているのは、グリオーシスという、いわゆる瘢痕組織です。炎症により髄鞘(ミエリン)がはがれる脱髄という現象が起きることが確認されており、いわば脱髄疾患と今は位置づけられています。
山内
これは自己免疫によると考えてよいのですか。
中原
原因は150年以上経過した今もってわかっていませんが、自己免疫の要素が関わっていることは間違いないだろうとされています。ただ、本当に自己免疫が原因なのかは、まだ様々な議論が続いています。
山内
なかなか難しいところですね。早速ですが、非専門医がこの病気を見たときに、すぐわかるとまではいかなくても、普通の脳卒中と違うなと、何かピンと来るようなものがあればご紹介ください。
中原
多発性硬化症は、発症年齢が20~30代に多いことが一つの特徴です。ですから、脳卒中に比べるといくぶん若い方が発症されるということが1点目。また、男性の患者さんもいますが、女性が多いので、若い女性が神経に関する症状を伴って来院されることが多いと思います。
症状自体は、病変がどこにあるかによって全然違い、例えば視神経にあれば、目が見えにくいとか、ぼやけるので眼科に行くことになりますし、あるいは脊髄の症状で痺れるとか、感覚が麻痺するのであれば、一般内科あるいは整形外科に行くことが多いと思います。たまに膀胱、直腸の障害で、お小水が出にくいとか、失禁したと泌尿器科を受診するようなケースもありますし、ともすれば精神的な変動で精神科に行くこともあります。どこの科でも受診しうるとはちょっと言い過ぎなのですが、様々な症状が出るものの、ほうっておいても基本的には1カ月ぐらいでピークアウトする、最初の頃は少なくとも数カ月から半年で良くなるのがポイントです。
山内
脳卒中と紛らわしいときもあるのですね。
中原
そうですね。最初、症状を持って来院したときに3カ月後は予測できませんが、何だろうと思って見ていると何か良くなってきた。ただ、また同じようなことが違うところで急に出てくることが多発性といわれている理由です。電気生理的な説明になりますが、残念ながら脱髄疾患は脱髄が起きた状態で体温が上がると、神経の電気信号が落ち、症状が強くなることがあります。日本ではお風呂に入る方が多いものですから、入浴、あるいは入浴した後に立ち上がれなくなった、めまいがした、痺れが強くなった、けれども翌朝には元に戻っていたり。こういった温度の変化によって症状が変動するのも一つの特徴かと思います。
山内
それは特徴的ですね。さて、診断になりますが、これは画像診断とみてよいのでしょうね。
中原
もちろん臨床的な特徴もありますが、今は国際的な診断基準が決められており、何年かごとに改訂されて、原則はMRIにおける診断になっています。脳、脊髄、場合によっては視神経といったMRIを撮っていただきつつ、そこから診断をしていくことになるかと思います。
山内
これはCTスキャンだと少し難しいと考えてよいでしょうか。
中原
残念ながらCTで脱髄の特異性を見いだすのは難しいというのが私たちの見解です。診断基準自体がMRIで規定されているので、ぜひMRIを撮っていただければと思います。
山内
特徴的な所見が出るのでしょうね。
中原
そうですね。MRIの撮影をしますと、T2強調画像というのがついてくると思うのですが、多発性硬化症はそれで十分特徴的な画像が撮れるので、放射線科の医師はおそらく見落とされることはないだろうと思います。
山内
さて、治療ですが、原因もはっきりしない疾患の治療といいますと、すぐにステロイド大量療法、あるいはγグロブリンといった印象になりますが、いかがでしょうか。
中原
多発性硬化症の症状が急に出てきた、再発と呼んでいる現象が起きたときには、炎症による脱髄がどんどん進む時期ですから、とりあえずそこは食い止めようと、私たちはステロイドのパルス療法をやりますが、実はやらなくても勝手に症状が良くなることが多いので、本質的に長期の予後には影響していないといわれています。
一方で、くすぶっている脳の中の炎症を自覚されていようが、されていまいが、多発性硬化症はどんどんそれで脳を壊していくことがわかっています。病態修飾薬や疾患修飾薬といいますが、急性期の症状のコントロールではなくて、慢性期に使う病態の調整剤が、国外、国内問わず一般的になっています。海外では20種類を超えた薬剤が、今、日本では8種類使える薬剤があります。世界的には1993年に初めて発売され、日本では2000年以降ですが急速に使われるようになって、これが多発性硬化症の患者さんの予後を劇的に変えたといっても過言ではないと思います。
山内
劇的にといいますと、かなり普通の生活に戻れると考えてよいのでしょうか。
中原
まだ多発性硬化症の治療薬が開発される前、ステロイドしかなかった1993年より前の話ですが、約8割の方はいずれ寝たきりになると推認されていました。ところが、病態修飾薬が次々に開発される中で、今は寝たきりになる方はほとんどいないのではないかとすらいわれています。今、寝たきりになる方は、残念ながら合わない治療を選択した場合とか、診断がすごく遅れてしまった場合に限られるのではないかとすらいわれています。
山内
劇的に効く薬のようなので、これですべて解決したかと思いますが、そうでもないのでしょうね。
中原
一つは診断の難しさ、先ほどMRIで診断ができるとお伝えはしましたが、紛らわしい病気がけっこうあり、誤診した状態で治療すると、実は様々な弊害が出ることもわかっています。なので、正しい診断がまず大事だということ。もう一つは治療薬がどうしても脳の免疫系をいろいろいじるものになるので、結果として例えば脳の中にウイルスが入りやすくなることが起きる。ですから、多発性硬化症は止まったけれども、ウイルスに脳をのっとられて別の病気になることがないわけではない。診断の難しさを乗り越えたとしても、中長期的に副作用をどう管理していくかが現在の課題となっています。
山内
非常に有効であるが、リスクも非常に高いと考えてよいのですね。
中原
おっしゃるとおりです。ハイリスク・ハイリターンの薬と、その逆もありますが、そこをうまく使い分けることを専門医は求められています。
山内
ありがとうございました。