山内
コミュ障という言葉ですが、我々も耳になじむぐらいになっています。一方、これと医学的な診断が一緒になると非常に影響も大きいと思いますので、そのあたりに関して教えていただきたいと思います。まず俗に言うコミュ障ですが、この違いといったあたりから始めていただけますか。
藤野
先生が言われたように、コミュ障とかアスペという言葉が、若者たちを中心によく使われていることは存じています。ネットなどでもそういった言葉が乱立していて、あまりいい意味で使われることはないように思います。自分はコミュニケーション障害を専門にしていまして、コミュ障も気になるワードなので、以前に調べたことがありました。当然ながら一般の辞書には載っていませんし、医学や心理学の辞典にも載っていません。
ニコニコ大百科というインターネットの百科事典があるのですが、コミュ障という用語がそのインターネット事典でこのように定義されていました。「コミュ障とは、他人とのたわいもない雑談が非常に苦手な人のこと。学校生活や仕事上でどうしても必要な会話、事務的な応対についてはわりと可能」、そんなふうに説明されています。若者の間で使われている一種のスラング、俗語ですね。これは一時期はやったいわゆるKY、つまり空気が読めない、そういった言葉もコミュ障とかアスペとかと同じような意味合いでよく使われているのではないかと思います。いずれにしても、いい意味ではなくて、人を見下すようなニュアンスがあって、あまり感心しない言葉遣いではないかと思っています。
山内
小さな社会の中で、少し変わり者としてはじき出すような感じで使われていることが多い言葉ですね。
藤野
そうなのです。コミュ障を、自分自身もそうだと思い込んでいる人もけっこう多いようです。どうしてかといいますと、先ほど申しましたように、コミュ障というキーワードでインターネット検索してみますと、関連ワードといいまして、ある言葉を入れると、一緒に検索されることの多い言葉が自動的に出てくる仕組みがあるのですが、コミュ障と一緒に検索される言葉にはこんなものがありました。チェック、診断、バイト、克服、仕事、改善、就職、就活、それから治すとか治し方。こういった状況を見ますと、自分がコミュ障ではないかと悩んで、特にアルバイトとか就活などに不安を抱えたり、苦戦したりして、お医者さんに行ってみようかと、そういった悩みを持っている人は少なくなさそうです。
山内
これと医学的なコミュニケーション障害はかなり違うだろうというのは、私ども、イメージ的にはわかるのですが、一般の方にもわかりやすい、明確に一線を画すものとしてはどういったものが挙げられるのでしょうか。
藤野
医学的にですが、特にこのあたりは精神医学領域の中で発達障害のカテゴリーに含まれると思います。診断基準は、国際的によく使われているものとして、一つはDSM、これは日本語では精神疾患の診断統計マニュアルと訳されています。もう一つはICDといい、WHOが公表している国際疾病分類です。それらの中でコミュ障とかアスペに近い概念として、コミュニケーション障害や、アスペルガー症候群などが診断名として入っています。
ただ、アスペルガー症候群に関して、最近この名前は使われなくなっています。最近では、自閉スペクトラム症、Autism Spectrum Disorder、略してASDという診断名に包括されるようになりました。以前は自閉症とアスペルガー症候群は、大きなくくりでは一緒だけれども、別な障害種として定義されていました。アスペルガー症候群は自閉の特徴はありますが、言葉の遅れや知的な遅れがないグループとして分けていたのですが、最近の考えではそのように分けることはせず、そういう自閉症の特徴を持つ人たちはすべて自閉スペクトラム症という大きなくくりで診断されるようになっています。
山内
アスペルガー症候群というのは診断名としては消えつつあると考えてよいのでしょうか。
藤野
そのとおりです。ただ、その中で、アスペルガー症候群の特徴の一部がいわゆるアスペと呼ばれる人たちに見られたりすることから、アスペという俗称が残って、ひとり歩きしているという状況になっていると思います。
山内
アスペルガー症候群、これは俗説的には何となく攻撃性が強いとか、性格が悪いイメージ。ただし、頭はいい、こういったイメージなのですが、こういった方もコミュニケーション障害としてとらえられるのですか。
藤野
そうですね。一つは、まず頭がいいというイメージですが、診断の中に知的な遅れとか言葉の遅れがありませんので、相対的には知的には高いグループが際立ちます。そのため、頭がいいといったイメージが生まれるのではないかと思います。
もう一つ、性格が悪いといったイメージですが、アスペルガー症候群とされてきた人を含む自閉スペクトラム症の人たちに共通して、他人の心が直感的に理解しにくいという問題があります。相手の立場に立てないとか、相手の視点に立てないので、自分がこう言ったら相手はどう思うかといったことを想像しながらコミュニケーションをしにくいことがあります。ですので、悪意はないけれども、人が嫌がることをさらっと言ってしまう。そういうことがたびたびあるものですから、性格が悪いと思われてしまうのではないかと考えられます。しかしそれは性格の問題ではなくて、障害の特徴から来ている問題なのです。
山内
いわゆる空気が読めないという感じのイメージですが。
藤野
まさにそうかと思います。
山内
ただ、これはあくまでも俗称のほうで、医学的となりますと、何が加わるのでしょうか。
藤野
先ほど名前を出しましたDSM、今は、DSM-5(ファイブ)といいまして、第5版なのですが、その診断基準によりますと、大きく二つの特徴があります。一つは、複数の状況で社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における持続的な欠陥、要するに特徴の一つは人との関わり合いの障害ということです。もう一つが、行動、興味、または活動の限定された反復的な様式。切り替えが難しくて非常にこだわりが強い。この二つの特徴は必須で、両方がはっきり見られないと診断はつきません。
そしてもう一つは、そういった症状は発達早期に存在していなければならないということです。赤ちゃんのときからの発達を事細かく調べて、何歳ぐらいにどういう特徴があったか、そういうことも含めて診断がなされます。
さらにもう一つは、社会的・職業的、または他の重要な領域における現在の機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしているか。要するに、日常生活に支障があるくらいそれらの特徴が強いかどうかです。そういったことをすべて、客観的な診断ツールなども用い、総合的に臨床的な判断によって医師が診断します。
先ほどのコミュ障とかアスペというのは、自閉スペクトラム症の特徴の一部を持つかもしれませんが、診断基準と全く一致しているわけではありません。
あともう一つ、説明しておきたいことがあります。コミュ障というのはコミュニケーション障害の略だと思いますが、医学的にコミュニケーション障害という場合、DSMですと、コミュニケーション症群、コミュニケーション障害群という一つの大きなくくりがあり、医学的にコミュニケーション障害という概念が意味するものと、若者たちがコミュ障という言葉で意味するものとは一致しないように思います。
と申しますのは、医学的な診断概念としてのコミュニケーション障害は、言葉の発達の遅れと、発音の障害や吃音症などの話し方の問題も入ってくるのです。先ほどのコミュ障というのは、アスペとかKYなどと近くて、自閉症の特徴が強調されていると思われますけれども、それとは異なるタイプの問題です。ですので、コミュ障を医学的な概念としてのコミュニケーション障害と同一視することはできないと思います。
山内
まとめますと、一つは独特のこだわりのような行動の反復があるということと、発達、小児期から少しそういったものがあるということ、それから言語系のシステムで適切な言葉が出てきにくいような、そういったものがある。そういったあたりでいわゆる俗称とは切り離されると考えてよいのですね。
藤野
はい、そのとおりかと思います。
山内
どうもありがとうございました。